定山渓温泉は、札幌の奥座敷。
札幌、定山渓の開通は役100年前その時は細い山道。
当時は本願寺道路と言われてた。
徒歩か馬で、二日がかりだったそうで、まだ湯治客の少ない時。
大正時代に入り、温泉街に旅館や料理店ができる。
その頃に、定山渓鉄道が開通されている。
札幌市資料館で、定山渓鉄道、資料&写真展があった。
資料館は、大通公園の西端になります。
19駅で営業も、国道230号線の整備で自動車、バスへと移る
昭和44年とうとう定山渓鉄道廃止と成りました。
札幌資料館。 2階展示室で写真展がありました。
大正15年建設、重要文化財。札幌軟石使用されてる。

旧札幌控訴院。

刑事法廷。
無料開放されてます。
東札幌駅。定鉄貨物列車と運転手。
当時の国鉄との連絡駅として、この地を起点駅とした。

豊平駅。 昭和40年代定鉄末期の豊平駅。
小さな木造駅舎から、昭和33年にモダンな駅舎に建替。

澄川駅。開業時は北茨木駅だった。
この地の地主の茨木農場から用地の提供から開駅。

けい
慈恵学園駅。定鉄電車から続々と降りる通学生。
定山渓鉄道の誘致で、この地に開校。
現在の札幌新陽高校。

真駒内駅。定鉄としては最も最後に建てられた駅舎。
開業直後は、枕木を積んだだけの停留所だったそうです。

緑ヶ丘駅。板組のホーム。
バス路線拡張で、開設8年後に鉄道廃止。

石切山駅。定鉄の存在を今に残す唯一の駅舎です。
現在石山振興会館として利用。
駅名は近くに、札幌軟石が産出からついた。

藤の沢駅。
用地を提供した、2名の苗字から一字ずつとって
駅名がつくられた。

十五島駅。貸切電車に乗る炊事遠足の小学生。
昭和29年十五島公園ができ、停留所が開駅された。

下藤野駅。
住民の要望で設置された、請願駅。
元の地名は藤ノ沢、その前は下野々沢。
それで、駅名は下藤野駅に。

定山渓鉄道は全部で19駅、残りは次回に紹介します。
札幌の終点が、東札幌としたのは苗穂、白石、札幌と
連絡がよかったからと、言われてます。
- 2021/01/20(水) 08:16:24|
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定山渓鉄道や控訴院が懐かしいですねー^^親父の関係で北7条に住んでいたことがあり子供心に記憶があります。跡地には数回行きました。控訴院は知り合いが高裁の課長をしていたので良く見に行きました。職員理容室がありよく理髪をしました。お元気でよく取材していますねー^^
- 2021/01/22(金) 11:24:07 |
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