浜益には古い歴史があった。
そこは小高い丘の上、現在は訪れる人も無く雑草の中。
安政6年(1859年)幕府は日本海北方警備を荘内藩に命じた。
荘内藩は警備、開拓の本陣を浜益に置いた、ロシアの南下を警戒した対策。
陣屋には奉行所、寺、長屋などの集落が作られ、200人余りの藩士が生活してたようです。
現在は国の史跡として指定された。
千本ナラの山頂より浜益地区を望む。

浜益川のほとりに村社八幡神社。

参拝。

荘内藩陣屋跡はこの辺りと調べて来たが分からない。
近くの方に聞くと、神社鳥居下を右に向かい上がるよう。
あった、大手門跡。

説明板です。

大手門から集落。

集落奥の山が千本ナラのあった所。

浜益川より物資輸送のため陣屋に向け水路を掘る。
物資は舟で日本海から、水路が残されてるのは嬉しいですね。
この水路建設にあまりにも多額の費用が掛かり、千両堀とも。

荘内藩陣屋跡図面がありました、分かりづらいですが。
右の方に浜益川(黄金川)、千両堀がかすかに分かります。
陣内には、奉行所、人夫長屋、足軽長屋、武器庫,などが分かります。

浜益地区のあまり知られて無い、歴史を知りました。
荘内藩は正式には鶴岡藩なのですね。
戊辰戦争で新政府となりわずか7年の領地と政治でした。
- 2020/07/08(水) 08:05:39|
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昨夜録画の高倉健さん御「駅」を見ました。浜益村の刑事役でしたが、雄冬峠での雪深い飲み屋が出てきました。銘酒国稀の街が懐かしかtです。手前の風待ち食堂が出てきましたねー。今でもあると思います。2階建てのおいしい食堂です。「国稀清酒会社」が一度銘柄の査証で大変でしたが、社長が町長でした。増田商店?かと思います古い建物で洋服問屋だと思いましたが。同じものですが…またねー^^。浦臼はまだですねー。
- 2020/10/11(日) 17:46:03 |
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