道の駅田島でお世話になる。 過去ログ
一気に北上、もう街道は北海道の風景に近く、慣れた気分のドライブに成ってきました。
田島も山間の静かな、所でした。

会津若松到着です、白虎隊資料館で、その歴史を感じてきました。
何か、赤穂市の忠臣蔵の資料館で受けた、同じ気持ちにさせられました。

飯盛山の自刃で、ただ一人生き延びた飯沼貞吉の生い立ちです。
後に電信技士として、生き抜き、79歳で没しました。
飯盛山での出来事について重い口を開いたのは晩年だったそうです。

1868年、鳥羽、伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発し、会津藩は幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍
の仇敵となった。
白虎隊は、16〜17歳の武家の男子によって構成された部隊であり。生年月日を改め15歳で出陣した
者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていたそうで、総勢340名に成ったそうです。
白虎隊のお墓です。線香が途切れる事が有りません。
このような風景は、東京都港区の忠臣蔵の泉岳寺でもそうでしたね。

石碑です。

飯盛山のこの場所で、鶴ヶ城方面の火災を見て、20名が自刃した場所です。飯沼貞吉は生き延びた。
敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていない事を知りながら自刃した
との、説もあるようです。

さざえ堂です。
国重要文化財で1796年建立された仏堂である。
右回りに上がる斜路と左回りに下る斜路が別々に存在する、他者とすれ違う事無く出口に出ることができます。

飯盛山を下りて来ると、トンネルの水路が有りました。
白虎隊が、鶴ヶ城を確認にこの水路を渡ってきたと言う話が伝わってるそうです。

レストランで食事をし会津若松を後にしましたが、いろいろ考え深い1日に成りました。
- 2013/04/21(日) 10:54:08|
- 福島
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