北海道と札幌の開拓の基準点となる、道路元標。
道庁赤れんが庁舎前と思ってたが、違ってた。
テレビ塔近くの、創成橋の東たもとにあった。
西たもとには、創成川となった元大友堀の考案者大友亀太郎像がある。
あらためて、明治初期の北海道、札幌の開拓が道路形画も重要な一面だった
ことを知りました。
創成川。
元は大友堀と呼ばれ、札幌発展に重要な役割をした川です。
飲料水、物資の輸送。

札幌建設の地、町割の中心となる。

その地に、『北海道里程元標』が立ってました。元は木製だった。
明治6年に北海道道路の起点として、この地に示された。
この地は、小樽銭函から千歳に抜ける道と、藻岩山麓通り篠路に行く
道路との交叉点にあたります。
その後、大正8年に旧道路法が制定され、道路の起点標柱は
道庁赤れんが庁舎前に移された。 それを見てたのですね。
道庁赤れんが庁舎前標柱(リンク)
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北海道命名150年、旧道庁赤れんが庁舎。 2018,9,26, 
創成橋と擬宝珠(ぎぼし) ねぎの花のような形ですね。
伊勢神宮、宇治橋の擬宝珠を思い出します。

宇治橋の擬宝珠。(リンク)
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伊勢神宮参拝 2013,3,9 創成川西側には、大友亀太郎像。
大友堀(現創成川)により、札幌の街づくりの発端となった。
東区(旧元村)まで、開墾しこんにちも創成川として街の中心
を流れ続けている。

初代の『そうせいはし』親柱。

風化が進んますが『そうせいはし』が読めます。
石柱の字は、ほとんど読めません。

創成橋は明治43年に架橋されてますが、平成18年創成トンネルの
建設で解体されてます。
創成橋の復元にあたり、『技術を守る』『形を守る』『材料を守る』
『その場所を守る』を考えて復元したそうです。
- 2018/10/24(水) 07:28:29|
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