道立文書館史料含め、明治期からの外交文書等初公開。
松浦武四郎の紀行集、樺太(現サハリン)アイヌ民族の歴史。
興味あるイベントが、道庁赤れんが庁舎であった。
現在は観光客の注目、道庁赤れんが庁舎にも長い歴史変化がありました。
会場風景。

開拓使札幌本庁舎。
明治2年開拓使を設置。『蝦夷地』→『北海道』となる。
明治6年洋風の開拓使本庁舎ができる。
未開拓の札幌原野に、異様に目立ったでしょうね。

赤れんが庁舎完成。
明治15年開拓使は廃止、明治19年に北海道庁が設置される。
明治21年に、道庁赤れんが本庁舎が完成。
約250万個のれんがを使用、以来80年間道政の中枢となる役割。

八角塔のない赤れんが庁舎。
明治29年八角塔、換気棟撤去される。
そんな、時期有ったのですね。 どんな理由だったのでしょう。

未来へ続く赤れんが。
昭和43年、80年にわたる道庁本庁舎の役割を新庁舎に移す。
昭和44年国の重要文化財に指定。

屋根に光る赤い星。
写真では分かりづらいですね、赤い星は『五光星』と言う。
開拓使を象徴するマーク、札幌時計台でも見られます。

明治6年の札幌市街。
中心部に多くの建築物が見られます、この頃には多く人が住んでたのですね。

開拓使の事業施策。
各府県から移民を招き、産業を起こしていきます。
三笠市の石炭運搬で、小樽手宮の幌内鉄道、札幌近郊の産業と
海産物事業が多かったようですね。

開拓使製造のラベル。
ビールと魚かんづめラベル。 赤れんが庁舎で見られる『五光星』マーク。

製造品、庁舎、時計台などに使われた五光星。

五光星マーク撮影に成功。 三角屋根下です。

明治13年人口分布。
総人口約22万人とある、色が濃いほど人口が多い。
道南函館地方が多いですね。
内陸は開発が進んでない事がわかります。

開発が早かった函館地区、平塚商店の図。
通行人の服装着物、洋装いろいろ、おもしろいですね。

教育も函館が早かった。 松前藩の関係でしょうか。
内潤学校。

樺太(現サハリン)アイヌ、対雁(ついしかり)に移る。明治8年。
日本と帝国ロシアで国境を確定する条約が結ばれる。
日本は樺太を放棄、千島18島を日本領土とする。
これにより、多くのアイヌの人たちが望んだ対岸の、北海道北部の宗谷地方では無く
江別市に近い、対雁となり非常に苦労をしたそうです。
記録によれば、アイヌ127戸 854人移住とあります。

小樽から札幌に向かう道路工事開始、明治12年。
翌年には開通。

明治20年代に入り、ようやく未開の内陸開拓が進む。
北陸、東北、四国地方の移住者が多かったようです。
オノ、ノコギリが中心の開拓、根気のいる作業でしたね。

江別市の、樺太アイヌ移住地の対雁(ついしかり)を訪問した
事があります。
樺太アイヌの人々の慰霊碑があり、公園として整備されてました。
- 2018/10/17(水) 07:50:27|
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| コメント:2
コメントありがとうございました。
自分も、旅の楽しみのひとつに資料館、記念館、博物館等
の訪問があります。
知らない土地の、歴史にふれる事は新鮮ですよね。
又、新しい出会いも時にあります。
札幌もいよいよ、白の季節が目の前高齢者にはこたえます。
楽しい旅を形画され、癒しを楽しんでください。
- 2018/10/19(金) 10:21:07 |
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- N.PIKA #-
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興味深く、見させていただきました。
ありがとうございます。
この7月下旬から8月上旬にかけて、おもに北海道の「開拓時代」の博物館・資料館などを巡りました。明治初めの開拓者に思いをはせる旅でした。
- 2018/10/17(水) 18:00:43 |
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- yamashiro94 #-
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