昨年11月の新聞に、岩見沢市志文町に明治開拓時の面影残す原始林が
1,2㌶が残されている事を知った。 志文(しぶん)
その地は、明治25年に入植した辻村直四朗氏が残し子孫の方が守ってる原始林
である。
一度訪問したいと思っていたが、先日実現した。
原始林入口で、『グランマ ヨシエ』の手作り菓子店を経営してる子孫の方にゆっくり
話を聞くことができた。
辻村直四朗氏は、現在では岩見沢市の歴史にとって重要な人物であるが入植
当時は、苦労が多かったそうです。(後で)
JRで岩見沢駅下車。バスで志文市街へ。
岩見沢駅は大きな駅。

志文駅到着。 JR室蘭線は石炭を運ぶため明治25年開通。
志文駅は明治35年に開駅。

辻村原始林に向かい歩く。 途中で志文神社参拝。

志文の歴史を見てきた狛犬。

台座に刻まれていた、辻村直四朗氏の名。

辻村直四朗原始林地図。
原始林近くに建立されてた、辻村直四朗記念碑。

志文学術自然保護地区。北海道指定。

原始林入口に辻村氏子孫経営の菓子店。5〜10月。水、木だけ営業。
家族にも評判良かった、美味しかったですよ。
ここで、ゆっくり辻村直四朗氏の開拓に関する、喜怒哀楽の話を聞くことができた。
時々来客のある中、本当にありがとうございました。

辻村直四朗邸です。 大正3年建立。
私有地ですので原始林入林含め許可が必要です。

住宅原始林として岩見沢市指定。
大正時代に、道庁から屋敷林特賞を得ているようです。

原始林を歩かせてもらう、辻村直四朗邸裏庭から。
和風でもあり、洋風にもみえる。 大正初期とは見えない建物。
オシャレな建物、 貴重です。

子孫の方は、近くに別邸に住まわれてます。
この風景守ってほしいですね。

原始林です、ほとんどが広葉樹。

日差しも入らない原始林。

針葉樹も少し。

自分が歩いた所は、ほんの一部ですが樹齢200〜300年だそうです。

大木が多く日差しが入らないので下草が少ない。

暑い日でしたが、涼しさで気持ち良い。

樹齢600年代の大木が有ったそうですが、7年前に強風で倒れたそうです。
残念でしたね。 後は次世代の栄養に。

辻村直四朗氏入植時苦労。
直四朗氏は、現小田原出身で22歳の時東京農林学校(東京大学農学部前身)を中退し
北海道開拓に希望を抱いて来道した。
未開の土地が多くあると思っていたが、広大な未開地の大半は、貴族、財閥、役人、有力者の所有地であった。
自分もこの件は知りませんでした、道庁で北海道150年史を調べてみると、たしかに明治初期
にはそんな時代があった、まさに、北海道は本州各藩の占領地のよう!!!
ところどころに道占有地がわずかに有るだけ。 当時の状況を示す写真がありました。

自分の土地を手に入れる事ができなかった直四朗氏は、やむなく知り合いの所有
する未開の長沼(馬追)で農業支配人となったようです。 志文から近い距離ですね。
この1年後に役人の土地を購入できた、それが今の志文である。
約100㌶と広大な土地。
明治27年には、小作人も増え周辺戸数が増え有志で寺子屋をつくる。
これが、現在の志文小学校の前身である、まさに志文町の父。
現在の志文小学校。

長女もと子。
昭和16年に『馬追原野』を発表、父直四朗がモデルで、入植当時長沼町
馬追(まおい)での農場支配人時代の苦難の開拓の様子が書かれた文学作品である。
第1回樋口一葉賞受賞。
父の開拓時代を書いているが、中途な感じを受けるそうです。
馬追原野、その2、その3がもと子には構想があったと考えられてます。
しかし、若い頃から病弱だったもと子は残念ながら、40歳の若さで亡くなってます。
昭和47年長沼町馬追丘陵に文学碑『馬追原野』が建立される。
※志文町の近くに、江別市東野幌があります、千古園が有り、くしくも志文の辻村氏とほぼ
同時期に関矢孫左衛門が入植してます。 昨年訪問しブログ投稿してます、規模は辻村原始林
が大きい。
・ 『
千古園北の開拓に尽くした関矢孫左衛門屋敷跡』 (リンク)
今回突然の訪問に、子孫の方が長い時間をとっていただき志文町の父
辻村直四朗氏について話していただき、本当にありがとうございました。
- 2018/08/08(水) 08:01:48|
- 岩見沢市
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0