今年は、北海道命名150年の年、明治2年『北海道』と命名
された時ハルニレは、すでに150歳だったのですね。
幕末の探検家、松浦武四郎が蝦夷地(えぞち)に替わって『北加伊道』の名称
で明治政府に提案した歴史があるそうです。明治2年。
この場所で見上げたかもしれませんね。
ハルニレは大道公園札幌テレビ塔向かいの市民ホール前歩道にあります。
この場所は昔の豊平館の前庭で、昭和32年豊平館は中島公園に移築されました。
『ハルニレ』の巨木。

根回り約4㍍ 。
高さは現在くらいで、あとは幹が太くなるそうです。

札幌市の景観資産、市中心部ですが元気だそうです。
種子から、苗木を育て市内各地の植樹に取り組んでる。

明治13年ハルニレの木前に建設された豊平館、現在は中島公園に移築。
国指定重要文化財、明治14年ホテルとして完成、明治天皇が最初の宿泊、所在所となった。
現在も中島公園で、貸室、観覧、結婚式場、カフェとして現役。

詩人、百田宗治氏の詩『
にれの町』がありました。
このハルニレが主人公の作品で、実に札幌の歴史を見て来た感じが表現されてます。
ハルニレは『ニレ』とも呼ばれてます。
見わたす限りのささ原や、ぬまや、しっ地や、林の中に、
高いにれの木が一本あった。
にれの木は何もかも見ていた。
にれの木は、自分だけを道ばたに残して
りっぱなコンクリートの道路がまっすぐに走っているのを見た。
北海道の札幌の町が、こうしてできあがった。
百田氏は大阪出身ですが、疎開で戦後札幌に3年ほど
住んでいたことがあるそうです。
- 2018/07/04(水) 08:04:49|
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