友人Kさんのブログに三笠市の記事。
そこに、赤い三角屋根の旧炭住街の写真と記事、私としては?の気持ちで読ませてもらう。
私は、平成26年三笠ジオパーク開催時三笠市の炭鉱歴史を調査、訪問して
ブログにも何回にも分けて紹介した。 その他には炭鉱歴史は無いと思ってた。
三笠市の観光案内所は国道12号線にある、三笠道の駅にあります。
電話して見るが、赤い三角屋根住宅に付いては良く分からない返事、市役所の
商工観光課、ジオパーク推進係りを紹介された。
間違いなく、旧炭住街で有った事が確認された。
平成26年の私の取りこぼし、再度行くしかないでしょうね。
これが、又、楽しい。 二ヶ所の炭鉱が追加された。
赤い三角屋根の旧炭住街、 弥生柳町です。

幾春別川の橋の上から、ここで山側にも炭住街がある事を知る。
青い屋根の長屋が見えてますね。

集落に戻り、まわりの道路を散歩。
煙突も特徴的ですね。長い年月で修理などで形も変わったのでしょう。

散歩中、畑作業中の80歳過ぎのオバーチャンに出会う。
記憶力、話題も豊富おかげでここ弥生地区の歴史、長屋の歴史を多く知る事ができた。
弥生柳町の長屋と同じ建物は、他の場所にも多くあったそうですが
何故か、ここだけが残り今でも利用してるのが不思議と話してました。
二階には、7畳の部屋が有り夜勤時専門の部屋だったそうです。

坂を登り山側に行くと、旧炭住街と坑口跡が有ると教えられる。
オバーチャンありがとう。

何処の炭鉱跡でも見る旧炭住街景色。

窓がベニヤで塞がれてない所は住んでるのしょうか。
ゴミステーションがある。

旧炭住街は広く、場所により一般個人住宅もあります。

旧炭住街から、山側に有った弥生炭鉱坑口跡です。
この炭鉱は住友系炭鉱だったそうです。産業遺構ですね。

横から、昭和45年の閉山と聞きました。
風化で鉄筋が出でました。
奔別、幾春別、幌内各炭鉱と違い注目度が低いのですね。

坑口跡からさらに山側を歩いて見ました。
炭鉱設備と思われる、基礎コンクリートと小さな建物があった。

旧炭住街の石雲寺。

弥生地区炭住街と幾春別川を挟み、反対側にも旧炭住街有る事をオバーチャンから聞いていた。
行ってみた。 そこは北炭系の炭鉱で唐松千代田地区であった。

この旧炭住長屋は空き家が多いようです。

弥生地区と同じで、生活してる住宅もある。
また、一般住宅も見られた。広い住宅街の中心ぐらいに共同浴場が見られた。
写真撮り忘れた。

昔はなやかし時代の商店でしょう。
歴史を思いおこされる。

炭住街で会った人から、唐松地区にも旧炭鉱坑口が有ると聞き場所も説明受けたが
とうとう見つける事ができなかった。残念。
山側を歩いて居て、ただ一つ石炭時代の遺構と思われた巨大煙突。
(近くに行くには、山中のブッシュ越えとなり未確認ですが、石炭産業遺構と判断)

帰りに見た三笠市の田植風景、今の田植機械は一度に8列植えるのですね。
昔は、手植えだったのに変わりましたね。

赤い三角屋根旧炭住街は、私には三笠市の石炭産業時代の貴重な
建物と感じました。 今後も残されて行く事を願ってます。
※三笠市に関連する過去ブログ※(リンク)
・2014年10月15日
『日本ジオパーク』三笠市を歩く、クロフォード公園、三笠鉄道村 ・2014年10月18日
達布山石狩平野が眼下、空知集治監典獄官舎 ・2014年10月21日
幾春別地区旧炭鉱跡、1億年時間散歩 ・2014年10月24日
旧奔別炭鉱跡、当時は巨大で最新設備
- 2017/05/31(水) 10:15:28|
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