札幌市の南区、山鼻地区に山鼻屯田記念会館があります。 (2月12日の過去ログ)
定山渓温泉方面に向かう国道230号線に近く、藻岩山山麓と言ってよいほど環境の良い所です。
この場所に明治9年、札幌市琴似につぐ2番目の兵村として開村されてます。
ここの兵村の、他との違いは道内に続く兵村建設の模範となり屯田兵の指導者養成の教育
を行い重要な兵村であったところです。
ここの会館は一階で美味しいピザとケーキも楽しめますよ。
会館全景、建物から歴史も感じられます。

1階が薪釜ピザと洋菓子、2階が屯田兵開拓時代の資料館。

ピザの方は大繁盛、美味しさで知られてるそうです。

美味しそうです。

種類が違うようです。

私は目的としてた2階の資料館へ。
学生の記念写真のようですが、2列目の女性の髪型を見ると何か意味の有る
記念写真なのでしょうね。

北海道の歴史資料館では何処でも見られる展示品です。

農機具と生活用品です。
私も手伝いで使った展示品もあります、懐かしい。

生活用品、懐かしい物が多い。

昭和3年山鼻小学校開校50年記念パレード風景。
左角の建物は山鼻警察派出所の看板のようです。

山鼻開村50年記念祝賀会会場看板でしょうか。

山鼻屯田兵屋。

屯田兵屋と人々、大正2年頃。

屯田兵村の共同井戸と共同風呂の記録、左が井戸、右が風呂。
一班に一ヶ所備付けがあった、風呂は当番制で沸かしてたと記されてます。

屯田兵の日課。厳しい生活が想像できます。
私の子供時代もこれに近かったですね、旭川近郊の米作農家でしたが
春と秋の忙しい時は、日の出から、時には月明かりで農作業してましたね。

屯田兵制度の説明。

屯田兵村の役割。
家族を含めて、任務と役割についてこんな説明がされてました。
屯田兵とともに入植した家族にも兵村の一員として、また開墾作業の労働力として大きな任務
が課せられていた。
『兵員及び家族教令』によると兵士及び家族は、忠孝の道を重んじ武勇をたっとび、信義を守り
礼儀を正しくし、常に戦時に備えるよう説かれている。とくに家族のものには、兵士は平時といえども
軍の任務があるので、家族は兵士の力に頼らず開墾に精を出し家を守るようにと書かれている。

日清戦争冬の出兵。

日清戦争夏の出兵の様子。

記念館の向かいに、やまはな公園。
山鼻兵村の中隊本部があった、現在は記念の石碑、当時の大径木が残り
歴史ある公園です。

大木が多く、夏は近くの住民、子供達の遊び場として最適。
公園の向かいには、山鼻小学校でかっては屯田兵の練兵場だったそうです。

北海道には、各地に屯田兵の歴史があり見学をしてきましたがその中でも
ここ、山鼻屯田兵村の役割と日課は厳しかったように感じました。
軍務と農業開拓に従事することが任務で、道具が少ない人力での開墾は厳しい
労働だったことが想像できます。
- 2017/05/17(水) 12:12:31|
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