現在は岩見沢市ですが、平成18年に岩見沢市、栗沢町、北村が合併した地域。
元は111年の歴史を持つ、北村家一族の名で旧北村の地名であった。
北村豊里の他に、7ヶ所の北村の名がつく地区に分かれた平坦な田園風景が見られました。
この地に国の遊水池事業で、移転が必要になったそうです。
現在は子孫に当たる、N氏が北村牧場をしてましたがお会いし歴史など話をしてくれましたが
残念だが、やむを得ないとの話でした。
遊水池事業は、面積950㌶と想像も出来ない広さこれは1981年の石狩川大水害にも対応できる
工事だそうです。
移転により、大正14年建造札幌軟石製サイロ(道内最古)が解体になるのです。
N氏敷地内に、石川啄木の歌碑が!!!後で!
札幌からは、そんな距離ではありませんでした、田園風景を眺めながら進むと
小さな集落が、大きな北村温泉ホテルの看板が目に入る。

広い北村地区、ホテルフロントで北村豊里を大きな地図で親切に説明を受けた。

牧場看板です、石川啄木歌碑の文字。
その時は疑問ばかり。

牧場に向かう小道。

石川啄木の歌碑。

N氏の先祖に当たる、北村家と啄木の関係が詳しく書かれてます。
小さくて読みづらいでしょうか。
北村家先祖の方で、妻智恵さんがいたそうで函館で教員をしていた時代があったそうです。
啄木も同じ代用教員時代の同僚で、北村家と関係が出来たのですね。

写真では、字が読みづらいですが『石狩の空知郡の 牧場のお嫁さんより送り来し バターかな』
函館大火等で啄木は東京へ、療養生活で大変な生活時代の明治44年、智恵さんは主人の了解をもらい
バターを送ったのです。
その返礼として詠まれた歌碑でした。

牧草ロールが保管されてましたが、必要なくなるのですね。

まもなく解体される、道内最古のサイロ。
札幌軟石製です。

サイロと牛舎。

住宅、牛舎向かいは平坦な田園風景の中ここだけは、自然が一杯。
好きですね!!! N氏の方は土地も肥沃で最高の場所だったそうです。

池の回りには渡り鳥。 ここは、全国的にも有名な渡り鳥の休息地
宮島沼に近い。

池の氷開けも近い、一部水面が見えました。

巣作りでしょうか、一番下の巣右側に一羽います。
シラサギに見えたのですが?

帰り道巨大ポンプの展示場所に寄って見た。北村土地改良区記念碑も。
ポンプは揚水量8626㎡/hと巨大なポンプ、3号機とありましたのでまだ2台あったようです。
想像ですが、昔石狩川河川整備の無い時代洪水対策として使ったのではと想像しました。
沼が多い所から、平坦に見えますが北村地区は他より低いのかも知れませんね。

水田では、渡り鳥の羽休め。

落ち穂ひろいでしょうか、近づいても気にもしてない。
意地悪されてない証拠ですね。

智恵さんと啄木の関係を知ることができましたが、石碑には『鹿子百合の碑』とありました。
啄木は美しい智恵さんを『真直ぐ立てる鹿子百合』にたとえたと言われてるそうです。
敷地内の撮影、お話有り難うございました。
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- 2017/04/15(土) 11:44:14|
- 岩見沢市
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