『駅逓所』とは、交通不便の地に駅舎と人馬を備えて、宿泊と運送の便をはかる
ために設置されたもので、規模は違いますが本州の宿場と役目はにてますね。
江戸期からあり歴史は古く開拓期で重要な役割をしました、島松駅逓所は明治6年に
設置され、明治30年に廃止されてます。
北海道には、600ヶ所以上あったそうで、現在ではほとんど残ってませんが6ヶ所
ほどが、昔の姿を残して残存してます。一部を残し訪問してますので後でリンクで紹介します。
その他の駅逓所跡は、石碑で保存の場所もありました。
旧島松駅逓所は残存の中の一つで、経営は中山久蔵氏で北海道における、水稲栽培に
成功し『石狩水田の祖』とも言われてます。
今では品種改良され、冷害と言う言葉も聞かなくなりましたが、私が子供の頃は良く
冷害が有り農家の苦労も多かった時期がありましたね。
そんな、歴史有る島松駅逓所がライトアップして紅葉の季節に無料開放されると聞き
10月23日訪問しました、また、蔵出しブログですね。駅逓所内部も開放。
旧島松駅逓所は北広島市になり、札幌から国道36号線でも近い距離です。
夕方到着、全景です。

国指定史跡、保存管理がしっかりしてます。
ライトアップで昔の風景が浮かびます、気持ち良い。

空にはまだ少し明るさが、駅逓所右通路を行くと裏には
公園があり、記念の石碑が何点かあります。

駅逓所裏山公園入口あたり。

公園石碑、駅逓所跡記念碑。中山久蔵が明治23年建立。

内部も無料開放。

居間、台所風景でしょうか、

中山久蔵氏、44歳で島松に入植駅逓所経営、稲作の栽培に成功と北海道の開拓
に大きく貢献された方と思います。

札幌県、駅逓係からの任命状。
札幌県とは、開拓使が廃止された明治15年から、北海道庁が設置される明治19年
までの4年間、札幌県、函館県、根室県の3県であったそうです。

宿泊用部屋、中に入って見ると広いですよ。

縁側の通路、昔の一般住宅でも大きな家には有りましたね。
懐かしい風景です。

当時の島松駅逓所付近の図、一番上の山側の建物が駅逓所と思います。

昭和26年当時の駅逓所、前の道路は旧国道36号線、現在の国道は
駅逓所裏山の向こう側にりっぱな国道となってます。

中山家使用の井戸、島松に入植以来使用で現在も使用してるそうです。
北広島町内で最も古い井戸。

ゆっくり見学してると外はすっかり暗くなりました。

紅葉もライトアップできれい。

駅逓所横の池です。この水が中山久蔵氏の稲作挑戦の水になったのです。
見えませんが、池の奥に小さな水田が有りました。
池によって、滞留で水温が上がり稲の成長を助けるのですね。昔の農家で良く見ました。
今は必要無く成りましたね。

『寒地稲作この地に始まる』の碑。

駅逓所が北海道開拓に果たした、役割は非常に大きかったと思います。
でも、道産子でも駅逓所の歴史を知ってる方は少ないと思いますね。
私も、数年前です、ある本で知り興味を持ち調べ出しました、そして、見学をしてみた。
駅逓所と駅逓所の位置関係が分かってくると興味がさらに増しましたね。
現存する駅逓所過去にブログ投稿してますので興味の有る方リンクで訪問してください。
(石碑のみの駅逓所は除きます)
1、旧幌向駅逓所 2、旧忠別太駅逓所 3、旧島松駅逓所 4、旧奥行臼駅逓所 5、旧簾舞通行屋 6、本願寺駅逓所 上藻別駅逓所も現存する駅逓所ですが、ここだけはまだ訪問してません。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。
- 2016/12/21(水) 21:09:20|
- 駅逓所
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0