昨年初秋の過去ログ
札幌開拓の歴史は、屯田兵制度と大きく関係してます。
屯田兵は、北方警備と訓練、又、開拓にも貢献してたのですね。
昨年秋の頃、自宅から散歩圏内の琴似駅方面を歩いて居た所、大きな建物に面した
一角に石碑のような物が目に入る、何時ものごとく足は自然とそちらに向く。
そこは、旧琴似村、町役場跡の由緒ある所だった。
琴似地区の歴史を詳しく知りたくなり、西区役所隣りにある歴史資料館を訪問そこで
琴似屯田兵村兵屋跡が復元保存されてる事を知る。
蔵出しブログになりますが紹介します。
琴似地区は札幌から小樽方面に向かい一番大きな繁華街でしょうか。
琴似駅近くには、八軒、二十四軒と言った地名が今でも使われてます。それは、開拓期
に開拓移民が、八軒移住した所、二十四軒移住した所だそうで当時から呼ばれてた物が
今でも正式な地名として使われてるのですね。
琴似駅付近の地図です。
八軒、二十四軒の地名が分かりますね。
旧琴似村、町役場跡は琴似駅の北すぐそばでした、今まで何度も歩いてるのに気づかなかった。

琴似村役場が、大正9年に札幌軟石で庁舎を建てて移転した跡だそうです。
この軟石の柱は役場正門柱の下部分の貴重な遺構です。
昭和17年に琴似町となり、昭和30年に札幌市と合併したのですね。

当時の貴重な庁舎の写真がありました。

歴史資料館で、屯田兵村兵屋跡を聞き見学。
そこも、高層マンションが立ち並ぶ一角に保存されてました。

この一角によく保存の声が出て素晴らしい事業だったと思います。

無料で開放、よく整備保存されてました。

兵屋が整然と区画されてます、その中の一つが今回見学できた清野専次郎宅
マークで示してますね。下には学校もあります。

兵屋敷地です。兵屋に対して敷地が広いですね。
各戸で野菜を作ったそうです。

台所、居間から座敷方面。本当にいろりで生活してたのでしょうか。

家具の一部。

織物も作ったのですね。
当時の材料はなんだったのでしょうね。

座敷から土間。

土間には、当時の農機具が展示されてます。
懐かしい物も多くありました。

懐かしい物が多く保存されてました。
昭和初期でも見た物が多くありました。

兵屋敷地裏には、菜園が。
今でも地域の人が協力して当時をしのび菜園事業を継続してるそうです。

琴似屯田兵村の当時の風景

屯田兵開墾開始集合写真。
明治8年だそうで、場所は現在の琴似駅付近です。
現在は、高層マンション、デパート街です、歴史の変化を感じます。

ブラブラ散歩で、貴重な琴似地区の歴史を知る事ができました。
屯田兵屋の敷地面積150坪、兵屋が17,5坪 敷地が広いですね。
当時は開拓すれば、いくらでも土地の有る時代広く取り野菜など作り食料不足
に対応したのでしょうね。
散歩でも、カメラ持参で良い事もありますね。
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- 2016/06/24(金) 08:32:23|
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