昨年晩秋の過去ログ
昨年晩秋の頃、北大構内と近郊を散歩してると石碑が目に入る。
石碑、記念碑等目に入るとさっそく、近づく習性のある性格寄ってみる。
そこは、北大に近い北12条西3丁目、 石碑には有島武郎旧邸跡とある。
有島武郎は『生れ出づる悩み』『星座』など札幌を舞台にしており、北海道文学の
恩人とも言われてますね。
ここ、旧邸跡には妻安子の病で、札幌を去り10数年しか住んでなかったそうです。
しかし、武郎の明治34年の手帳には『我が真生命の生れし故郷ハ実二札幌なりき』
と記されているそうです。
札幌農学校時代を含め、思い出多い地であり永住も考えていたのでしょうね。
旧邸跡は実に北大に近い所でした。
有島武郎旧邸跡石碑。

石碑に刻まれてる、妻安子の言葉。遺稿集『松むし』より。
武郎と友人の話を聞いてた安子、友人の結婚はどうですかの、質問に武郎は
『良い事もあれば、悪い事もあるさ』の言葉に対する安子の考えを歌った言葉だそうです。
『結婚は良いものだよ』と答えるような妻に成る思いだそうです。

旧邸は武郎が、札幌を去った後北海道大学の所有となり『有島寮』
として利用、昭和58年廃寮となり取り壊しの話となったそうですが、貴重な建築物
として、芸術の森に復元保存され、当時としては洋風な姿を今に見る事ができるのですね。
札幌芸術の森は、札幌市の南、郊外に40ヘクタールと広大な森を利用された施設で
敷地内には、美術館、工芸館、アトリエ等研修施設がそろっており、彫刻、絵画、版画、木工房
ガラス、陶工房、クラフト工房などが森の傾斜を旨く利用、点々と施設が整備された素晴らしい
所でした。
札幌市民の私も入場は、初めて観光気分で散歩でも十分楽しめますね。
林と池に囲まれた所に、有島武郎旧邸は復元されてました。

モダンな洋風住宅の先駆けとなったそうです。

玄関を入ったところ、実に落ち着きのある重厚な感じをうける。

有島と札幌のつながりが、説明されてました。
写真は現北大教授時代のころ。

当然、武郎全集が。

有島の一句です。 大正11年44歳、信州木崎湖畔の夏季大学講師
として、ついた頃の歌だそうです。(書は複製)
『砂にゐて佐渡を見居れは涙しぬ
かそけくなけく我にやわ似る』

有島家のアルバムの一部。

祖母との写真でしょうか。

2階へ。
何か今の建築と違いますね。 なんなのでしょうか。
落ち着く。

洋風の香りのなかでも、和風の香りもする。

明治時代の設計とは思えません。

有島の手帳に残されてた、住宅の設計図。
ほとんど、有島の考えでこの住宅は設計されたそうですよ。
土地は賃貸だったようで、坪数405坪、賃料3円51銭とあります。

2階の一室。

珍しい工夫が有りました。
女中室との伝声管です。

こうして、用件を伝えてたのでしょうね。
ヒソ、ヒソ話できませんね。(笑)

札幌芸術の森は、国道453号線沿いで支笏湖に向かう国道ですね。
少し札幌から、離れてますが非常に環境が良く子供共ども楽しんでる方も多くいましたよ。
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- 2016/02/19(金) 12:02:39|
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