二回に渡り、月形町の歴史を紹介してきました。 9月30日。 10月6日。
それは、月形旧樺戸集治監との深い関係が有る事でしたね。
月形樺戸博物館から、約2㎞ぐらいの裏山に円山公園があり、それは杉林でした。
明治23年(集治館開設10年後)に囚人が植樹したそうです、囚人も職員も本州
の方が多かったでしょうから、杉の香りがなつかしかったのではないでしょうか。
許可がでて、最初は600本を植樹したそうです。
望郷の念から手入れに励んだそうです。
博物館から、散歩コースでもあり、往時を思い起こしながら森林浴ですね。
円山公園入り口には、囚徒が植えた杉林の説明が。
現在はアカマツ、トドマツも植樹されてるそうです。

円山頂上に向かう細い舗装道路もあります。車OK.

立派に成長してる杉林です。

杉林には、木材チップの遊歩道が整備されてました。

円山の途中には歴代典獄記念碑、当然初代は
月形潔ですね。 現在の月形町の町名になった人物ですね。

円山頂上の展望台。
きつい登りでもなく、博物館からは丁度良い散歩コースかな?
私には少しきつかったでしょうか。

月形町集落。

明治19年月形円山と三笠峰延の達布山を一本の道路
でつなぎ、峰延道路が囚人の手により完成されてます。
中央奥に真直ぐ延びてるのが、峰延道路ですね、この先に現在の国道12号線がありますね。
北海道開拓の基点になった所とも言えそうですね。
三笠にも、集治館があり共同工事だったようです、円山と達布山で『のろし』を上げ直線
測量をしたそうです。

中央奥にかすかに芦別岳が見えます。

円山展望台より見えた、現在の月形刑務所です。

学園都市線月形駅、博物館の直ぐ近く。

動画。 『子供のヘビ』 15秒
歩いてると円山中腹当たりで、クネ、クネ動くひも状の物が目に入る。
近づくと赤ちゃんヘビでした、ここでは車で交通事故に会うよと話すと
山に入って行きました。
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VPS なぜ、月形に集治館だったのでしょうね。
平地が広がる周囲には、大河石狩川裏には樺戸連山がそびえ脱走困難
な地形だったのですね。
平地は食料栽培にてきした土地があり、農地としても有望だったのですね。
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- 2015/10/23(金) 14:14:27|
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