月形町の町名は、旧樺戸集治監初代典獄(現在の刑務所長)月形潔の名字から
付いた歴史をみても、ここに集治監が建設された歴史から始まってるのですね。(明治14年)
月形樺戸博物館は、旧樺戸集治監本庁舎、博物館、農業研修館に分かれてます。
いずれも、立派な設備で資料も多く整理されてましたよ。
北海道開拓の歴史を、知る上でも大変参考になる場所ですね。
集治館と博物館で時間を撮り過ぎ、農業研修館は簡単な見学になってしまいました。
私が子供の頃を思い出すものが多かったのですが、さっとに成ってしまいました。
外庭に月形町の歴史を刻んだ石碑がありましたが、よく読めませんでした。

当時の生活の様子です。
昔の農民の生活は、本当にこんな感じでした。
冬はイロリが、薪ストーブに変わります、それでも住宅方式が現在と違い
ますから、すきま風で寒かったですね。
住宅の廻りには、稲わらで高さ3㍍ぐらいの冬囲いをしてました。

農業には、かかせない馬との生活です。
樺戸の囚徒も開墾と、開拓に労苦が多かったそうです。
(急いでる為でしょうか、少しピントが甘い)

驚いたのは、北海道にこんな巨大なイチイ(オンコ)が育ったことでした。
町有林内の尾根に根をおろし、王者の風格をただよわせいたイチイで日本一だったそうです。
高さ23㍍, 直径2,4㍍、幹の周囲が7,4㍍ 年輪1500年という、北海道の厳しい風雪に耐え
育ったのですね。
昭和29年の15号台風(青函連絡船洞爺丸事故の台風)により倒れ、その後30年間放置
されてましたが、一部搬出され組み立てられ展示されたそうです。

大木イチイの由緒です。

元気だった頃の写真が残ってたのですね。
根元に人が立ってますが、その大きさが想像できます。

樺戸博物館を出ると目の前にJR学園都市線の列車が。
この学園都市線は札幌から北海道医療大学までは3~6両編成で本数も多いのですが
それ以後、新十津川まではこのように一両編成になり本数も少なくなります。
自宅マンションから、毎日眺めてる光景です。

明治14年から、廃監になるまで39年間月形町の歴史の基礎になった
ところですね。又、脱走時を考え囚衣は赤だったそうです。
新鮮組の永倉新八が明治15年〜19年まで剣術師範として就任してたそうです。
現在も月形には、この場所から少し離れた所に月形刑務所があります。
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- 2015/10/06(火) 11:05:05|
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