南区の山鼻公園に、野口雨情作詞の『赤い靴』の歌碑建立の情報を得る。
『赤い靴』の童謡には平成14年日本一周の旅で思い出があった。
野口雨情の童謡『赤い靴』と札幌との関係あることを、その時知ったのです。
日本平パークウエイを通り、日本平に寄った時のことでした。
所々に茶畑があり、富士山や伊豆半島が駿河湾越しに見え、眼下には清水港が広がり
三保の松原に見劣りしない、眺めだった事が思い出されますね。
赤い靴の主人公『岩崎きみ』の両親は事情があり、北海道に渡ったのですがその時
『きみ』ちゃんは当地に残され、宣教師に預けられたそうです。
北海道に渡った両親は、父親が新聞社に勤務そこで同じ職場で野口雨情と知り合う
のですね。
母親が野口雨情に、残して来た『きみ』ちゃんの話をする中から、自然に『赤い靴』
が生まれたそうです。
同じ山鼻地区に住んでいた野口に娘の話をしたことが、童謡誕生のきっかけになったのですね。
山鼻公園の一角に『赤い靴』の歌碑です。

日本平頂上に立つ、『きみ』ちゃんと母親を、81年ぶりに故郷
で再会させた、母子像です。 Wikipedia
『きみ』ちゃんは宣教師にあずけられた後、9歳で亡く成ってます。
あまりにも無情!!! それで歌詞に『異人さんにつれられて行っちゃた』なのでしょうか?

母子像がこんな風景の中で一緒に居られるのは
良かったですね。 Wikipedia

歌碑の立つ山鼻公園を少し紹介しますね。
公園入り口です。

札幌市の開拓の歴史は北区に住んでるのも有りますが、新琴似屯田兵、
琴似屯田兵を思い出しますが、南区にも屯田兵の歴史が有る事を今回知りました。
山鼻兵村開設碑

碑歴。
明治9年、青森、秋田、鶴岡、宮城、岩手から240戸が入植し開拓の歴史が始まっている。

開拓が進み、時代の変化と共にまわりも変わって行く中で、開拓の中心となった
この地(山鼻公園)を守って行く運動が出たそうです。
とにかく大径木に驚かされます。

中心に有るのは、銀杏ですね。

緑豊かな大径木の木陰で読書、太陽が移動しても木陰が広い
ですから大丈夫。

子供も多い。

コンクリートとアスファルトばかり増える札幌
良く守ってくれましたね。

歴史が想像できます。

多くの市民の憩いの場のようです。

ここは、ママ友グループのようですね。

当時の山鼻地区は未開の原生林におおわれ、
アイヌ語で『ユクニクリ』(鹿林の意味)と呼ばれてたそうです。
札幌では、北海道大学構内で明治期の原生林の姿を多く見られますが
一般公園でこんな大径木が有る公園は少ないでしょうね。
思い出の『赤い靴』の歌碑と、歴史を感じる日となりましたね。
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- 2015/08/02(日) 07:41:30|
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