私は北区住民、西区の手稲鉱山、南区の簾舞地区の歴史等歩きましたが 10月25日 過去ログ
豊平区、清田区は通り過ぎるだけでした。
『つきさっぷ郷土資料館』を知り訪問する事にしました、豊平区に有り地下鉄東豊線
月寒中央駅から歩いて15分程、札幌市から千歳、苫小牧方面の国道36号線からも近い。
『つきさっぷ郷土資料館』はレンガ造りの2階建ての重厚な洋館風で、紅葉の木々に
囲まれてました。
月寒資料館緑地として付近の市民にも親しまれてる感じがしました。
農耕、林業、生活、旧軍隊、古文書等資料が豊富な事に驚きました、又、
資料館は戦時中、陸軍第五方面軍の司令官の官邸だったところでした、その関係で
『さっぽろの戦跡』を知ることに成りました、次回ブログで紹介しますね。
つきさっぷ郷土資料館正門です、地下鉄で行きましたので15分ほど掛かりました。
昭和16年に北部軍司令官官邸として建築されてます。

旧陸軍北部軍司令官官邸を示す門柱、見方を変えればこれも『さっぽろ戦跡』ですね。
戦後占領軍に接収された歴史がありますが、地域住民の長い活動で郷土資料館として
開館されてます。

前庭の緑地は整備され、素晴らしい紅葉を見せてくれましたね。

重厚な感じを受ける建物です。

紅葉も終わりに近い落葉が多い。

紅、黄、緑と楽しませてくれましたね。
子供連れの住民も来てましたよ。

庭に『聖蹟』の碑。 天皇行幸が有ったのでしょう。

資料館横には、私にとっても懐かしい展示物が。
昔の農機具です、発動機が二つ。 私が小学校時代はまだ足踏み脱穀。
中学時代くらいに発動機を使った、脱穀、精米になった記憶です。

どれも見覚えの有るものばかり、この地方月寒でも活躍したのでしょうね。
外の展示なのに、どれも清掃がされピカ、ピカに管理されてました、感謝ですね。
オジンです、昔の世界に入ってしまいましたね。

館内です、まず目に入ったのがこの地方の開拓資料。
明治4年入植者氏名と入植地を示す地図でした。森林地帯の開拓だった
ことが想像できますね。

懐かしい!!! 前記の発動機だ出るまでこの足踏み脱穀機でした。
私は旭川市近郊田舎の米作農家でした、良く覚えてますよ。
足踏みするバーが下にあり、突起の付いた胴状の物が回転し脱穀します。
父の隣りで足踏みをして、手伝いをした記憶が有ります。

この地方で使ってた物を収集したのでしょうが、数が多い大変だった
でしょうね。

各種の古い電話器、社会人になった頃は下の電話交換台でした。

田舎の家庭用品ですね。

ランプですね、真ん中のはカーバイトで発光するランプ。
ランプ時代の経験が有ります、旭川近郊でしたが電気の時代が遅かった。
ホヤ掃除は子供の仕事、中に手が入る。

保存、整理、展示物の清掃が行き届いてる。
多くの資料館見て来ましたがこれほど手入れされた資料館は少ないですね。

父親は喫煙者でした、全部の名前記憶してますよ。

きざみ煙草の『ききょう』をこの手巻きの装置で、巻き煙草を作ってました。
戦時中ですね。

稲わらをタタイテ柔らかくして、ぞうりや長靴まで作ってました。
小学低学年時の終戦直後に、クラスに数そくの長靴が配給になりジャンケンをした
記憶が有ります、私は何時もハズレでしたね。

二階への階段です、司令官官邸時代の面影が残ってますね。

昔の子供の遊び道具です、パッチ(メンコ)とビーダマぐらいしか
記憶にありません、外が遊び道具でした。

25連帯で使用した耐火金庫です、明治14年製。

来年は終戦70年だそうですね、資料館を見学して現在とのギャップに驚き
ましたね。
7月頃室蘭市を歩いて来て、室蘭の『戦跡』を訪ねて来ました。
『つきさっぷ郷土資料館』を見学して札幌市には市民まちづくり局地域振興部
区政課で『さっぽろ戦跡』を整理されてる事を知りました。
次回のブログで紹介しますね。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。
- 2014/12/23(火) 11:59:15|
- 札幌
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0