札幌市内地図を何気なく、見てると豊平川を中島公園を挟み反対側に水車町 9月19日 過去ログ
の地名、何か歴史の有る地名に感じ歩いてきました。
私も札幌に住み約20年に成りますが初めて知る町名、灯台下暗しですね。
私は北区ですが、近くに八軒、二十四軒の町名の所が有りますよ、明治初期に屯田兵開拓
団が最初に八軒入植、二十四軒の家族が入植した所が地名として残ったそうです。
水車町も何か歴史が有りそうですね。
市の中心地から近い、駅から歩きました。
道庁前の広場工事が完成、駅前通りからの入口に大きな石が。
題が『一石を投じる』 作者 島袋道浩作
現在は取り外され、道立の森公園に移設されたそうです。

水車町に向かい豊平川を渡ります。 河川敷を利用したパークゴルフ場

橋を渡ると直ぐの所に水車町公園が有りました。

水車町の場所は。
遊歩道入口です、明治の時代は当然今のように豊平川には堤防は無く
この公園の上流で、分岐して小さな川が流れていたそうです、それが水車川。
この公園の下流で又豊平川に合流してた。
川辺には水車小屋が並び精米、製粉をしてたそうです。7ヵ所ほど有ったそうですよ。
それで、水車川、その辺りの地区を水車町と成ったのですね。 理解できました。

大正12年頃には水車小屋も役目を終わるようになり、昭和に入り学童の通学
路確保の要望が強くなり、水車川が埋め立てられ通学路、遊歩道と成ったのですね。

住宅街の中の、いい感じの遊歩道です。

緑多い遊歩道も残されてますよ。

水車川の歴史と水車に付いて説明が。

水車小屋を再現した公園です。

『きね』と『うす』ですね。きねが上下して挽かれますね。
私の子供の頃、田舎で一軒の農家に水車が有り、大根下ろしのようなギザ、ギザ
したドラムを回転させ、芋をドロドロにするの見てました。
多分澱粉を作ってたのでしょうね。水車町を歩きながら思い出してました。

『水車ゆかりの地』の記念碑。

住宅街の中を遊歩道は続きます。
元は昔の小川跡ですから、直線の部分はほとんど有りません。

豊平川に近づいた所に大きな森が。

森の中に『へび神社』と呼ばれてるそうですが本当は『難得神社』
明治30年建立、創建由来は良く分かりません。 水路のそば水害が関係してるのでは
との説もあるようです。

豊平川のそばで年輪を重ねた木でしょうね。

きれいに色づいた実をつけてました。

元水車川を利用した遊歩道はここで終了です。
気持ち良い散歩道ですよ。札幌中心地からも近い。

札幌市内にも隠れた歴史が有りますね。
昔の豊平川は『サッポロ』と呼ばれてたそうです(考えずらいですね)
明治になってから豊平川と呼ぶようになった。古い記録によると『豊平』は『トイピラ』
と記されており(崩れる。崖)などの説があるそうです。
地元にも知らない歴史が有るもんですね。又、調べてみます。
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- 2014/12/11(木) 11:07:33|
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