※ 昨日、友人小沢和雄氏の写真展が旭川市で開催され見させて貰いました。
故郷が旭川近郊の田舎ですが、久し振りに市内を歩いて来ましたよ。
帰省しても市内を歩いて無い事に気づきながら散歩、写真展、市内の懐かしい
(私には)風景後日紹介しますね。
♢ ♢ ♢
厚田区を過ぎ、浜益区方面に北上札幌市から浜益区まで約80㎞と近い。 10月12日 過去ログ
浜益は、江戸時代にはハママシケと呼ばれてたそうで地形上、鰊、ナマコ、アワビ、
サケ等漁業が中心だったようです。
国道231号線を北上送毛トンネル手前で山道、市道毘砂別(びしゃべつ)送毛線に入ります。
砂利道を海側に進むと20軒程の集落が中山間地海岸近くに有る。

歩いて見ました、古いお墓が有り長い歴史が有る集落と想像ができる。

港も無い、舟も無い、漁業の様子を感じない。
鰊の時代に集落が出来、その後厚田、浜益に通い漁師さん? 私の想像。
一軒だけ、回りの風景と違う家が有る、奥に見える別荘風の家、若い御夫婦が見えましたよ。
そんな集落。

海岸線を歩いて見ましたよ、漁師さんの作業小屋が有りましたが生活感
は有りません。 奥から集落方面です。

目的の千本ナラコースに戻る。案内板が有りました。
4,7㎞ 砂利道ですから遠く感じますね、でも昔を思い出し走りますか。

気持ち良い砂利道でしたよ、 サルナシ(コクワ)の木を発見、沢山実をつけてる。
でも高い、つるを引っ張ると来年から実をつけなく成る。
来年は脚立を持って再来??

大分昇って来ましたよ、左に見えるのが国道231号線です。

一部舗装も、高度が上がると紅葉が癒してくれましたよ。
後で分かったのですが、千本ナラだけの見学なら毘砂別側から入ると全舗装ですよ。
締まった砂利道ですから、山道一周お勧めですが。

千本ナラに到着です、ほぼ山頂看板が有りますから安心。

場所は。
日本海の崖の上直ぐ、吹き上げる風のため、枝が多数に分かれて姿が、千本も生えてる
ように見える事から呼び名がついたそうです。御利益のある木、御神木として年間3000人
もの訪れが有るそうですよ。

樹齢800年のミズナラ、根元を見れば風雪に耐える力強さを感じます。

近くにあと2本並んでましたよ、合わせて3千ナラ?

一番元気そうなナラ。

元気な理由はこの根ですね、何事も土台が大切。
向こうに日本海のブルーが。

千本ナラ以外は普通の林なんですが、何故この3本だけ残ったの?
そんな事考えて歩いてましたね。

人里離れた山道に、神社、稲荷神社? 小さな鳥居が。
ありがとうと参拝してきました。

ようやく、毘砂別の集落が見えてきました。
浜益区手前の集落ですね。

浜益区到着、目的の荘内陣屋跡を歩くことですが分からない。
事前に調べてた所を歩いてると八幡神社が、参拝。

荘内藩の鎮護として建立されたそうです。

参拝後、ご夫婦に会い荘内藩陣屋跡の場所を聞いて見ました。
感は良かったのですね、八幡神社鳥居の右側の雑草道を行きなさいと教えられる。
陣屋跡にようやく到着です。

国指定の史跡、幕府から命ぜられた荘内藩は、現在の川下地区を開拓し陣屋
が設けらたのです。陣屋の周囲は木の柵で囲われ、内部には奉行所、長屋、米蔵
などが並んでたそうです。
いろんな職種の人が居て医者も2人いたそうです。 総勢200人体制が組まれてた。
北方の開拓、警備とはいえこの厳しい所での陣屋の必要性を考えてしまいました。
陣屋側から浜益集落方面です。

浜益は以外と水田地帯でしたね。

陣屋の場所を教えていただいたご夫婦から少し話を聞く事が出来ました。
本州から船で運ばれる荷物は、現在の浜益川を小舟に積み替え、さかのぼり途中で
陣屋下まで堀を作って運んだそうです。
堀は段差が有り、水位を上げながら移動、工事には多額のお金が掛かったそうで
地元の人は今でも千両堀と言ってるそうですよ。
現在は水田の用水路に成ってますが、この水路が千両堀です。

陣屋跡面積167,000平方メートルと広大、現在でも土塁や標柱が
有るそうですが、雑草が多く歩くのは諦めました。
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- 2014/11/11(火) 11:49:58|
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