札幌市から国道274号線で約1.5 時間くらいで新夕張、ここから国道452号線に
入りまもなく、南部地区です。国道452号線は直進で芦別、富良野方面。
今日は、夕張川沿いを紹介しますね。
夕張市を歩いて見て、石炭の都として栄華を極めた町夕張、閉山後時計の針が止まった。
平成2年南大夕張炭鉱が閉山、市内すべての炭鉱が閉山と成った時です。
全国的な報道と成りましたが、平成19年財政再建団体となり、現在東京都庁から来た
若い市長さんを、先頭に市民一丸となり頑張ってる市です。
市民サービスの低下、職場減等から人口減が有り苦労されてる報道があります。
頑張ってほしい。
夕張市の炭鉱開発の歴史、少し紹介します。 (Wikipedia)
北海道炭鉱汽船(北炭系)が開発した新夕張炭鉱、夕張新炭鉱、平和炭鉱、真谷地炭鉱
三菱鉱業が開発した大夕張炭鉱、南大夕張炭鉱が有りました。炭鉱に関連する会社も多かった
でしょうから、まさに炭鉱の都と表現された町が分かりますね。
滝ノ上公園から移動、清水沢駅集落で丁度昼時、オシャレな店が有ったので昼食、『めぐみ』
パンも作ってる店のようでした。

ビーフカレー美味しかったですよ。

清水沢の集落から国道452号を走るとまもなく、清水沢ダム。
清水沢ダムは、発電専用の目的でしたが、上流に大夕張ダムが完成後はダム直下の発電
と農業用水確保の役目もしてるそうです。

場所は。 この辺りです。
ダムは車で通行出来ますが、林道に入るだけのようでした。

最近見るダムとは、違う構造に感じました。

ダム湖方面ですが、あまり良く分かりませんね、すみません。

ダム直下には中島が、硬い岩盤なのでしょうね。珍しいそうですよ。

ダム堰堤から見える、大正15年完成した旧北炭清水沢火力発電所です。
発電用石炭は当然自家炭、地産地消ですね。
本当は近くまで行きたかったのですが、入場禁止でした。
当初は6000キロワットの発電量が、次々増備され5台の発電機で最大74500キロワット
まで出力が有ったそうです。送電網は幌内、歌志内、赤平方面まで達したそうです。
いずれも炭鉱地帯ですね。 当時の炭鉱の発展が想像できますね。
平成3年廃止、現在解体工事中だそうです。

中島と発電所。

解体中の発電所。

全盛期の発電所風景。 (Wikipedia)

国道452号線南部地区に三菱大夕張鉄道南大夕張駅跡が見れました。
旧南大夕張駅跡。
明治44年開通、昭和62年まで活躍、石炭のみならず住民の貴重な足でも有ったようです。

ホームです。

客車、昔を思い出しますね。
昔は、タバコ自由、長距離列車は座席下はゴミ、日本もそんな時代が有りましたね。

上流には新しく夕張シューパロダムが建設され、現在貯水テスト中です。
満水状態に見えましたよ。 農業用水不足対策、夕張川洪水調節用としての役目だそうです。
シューパロダムの上流には、大夕張ダムが昭和37年に建設されてましたが役目が不足状態に
成ったそうです。 同時に有った二股発電所と共に湖底に沈んでしまいました。

天気が良ければ正面が夕張岳方面に成ります。
『シューパロ』の語源はアイヌ語で『本当の』を意味する『シ』と。『鉱泉の湧出する所』
を意味し夕張の語源となった『ユーパロ』と合成したそうですよ。
シューパロ湖は日本第4位の貯水量となり、発電、農業用水、上水道と多目的ダムとなります。

シューパロ湖の湖底に沈んだ地域には、かなりの集落が有ったようです。
ダムを眺められる高台に湖底に沈んだ学校の碑が多く有りました。
鹿島東小学校の碑。

鹿島小学校碑。 思い出に校歌も刻まれてました。
太古の森をきりひらき うもるる宝かえさんと
力よほまれよ血のひびき きたわんかいな
ああ大夕張

鹿島中学校閉校記念碑。 開校昭和22年、 閉校平成8年。
卒業生 9237名。

夕張東高等学校記念塔。 校歌。
千古の緑夕張岳の 色映ゆふもと鹿島の丘に
真理の道やはてなき夢を
求めてやまぬ 若人誰ぞ ああ健児が集う東高校

満水前であれば、この方向下流に三弦橋が見えるのですが、来るのが遅すぎた。
大夕張ダムの建設の時、夕張岳山麓に向かう森林鉄道として昭和33年に完成したそうです。
特異な形式のトラス橋だそうです。 シューパロダム建設で大夕張ダムと同時に湖底ですね。

湖底に沈む大夕張ダム。

湖底に沈む三弦橋。 (Wikipedia)
夕張市役所に聞いて見ると、来年1月頃シューパロの水が抜かれる可能性も有るそうですよ。
実現されれば再度姿を表す。

国道452号線、南部地区体育館側に『南大夕張炭鉱殉職者慰霊碑』
昭和60年5月17日の炭鉱災害の碑でした。 お参りして来ました。

清水沢集落まで戻り、国道38号線を北上すると夕鹿の湯が、日帰り入浴可能です。

夕鹿の湯の駐車場近くに大煙突。
北炭化成工業所がコークスを製造工場の有った所で大煙突だけが残された、
昭和9年に開設され昭和53年に閉鎖されてます。 現在は夕鹿の湯のシンボル。
閉鎖当時は費用が掛かり残したのが、現在は貴重な炭鉱遺産に成ったのかな?

高倉健主演の映画のロケ地『幸福の黄色いハンカチ』

私も見ましたが、炭住街の場面でしたね。少し歩くようです。

時間が無く成り、遠くの黄色いハンカチだけ写真に納めて来ました。

三笠市とは違う夕張の炭鉱時代が想像出来ました。規模が大きいそんなイメージです。
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- 2014/10/30(木) 12:35:46|
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