三笠市街の幌内地区から、さらに道々116号を幾春別川沿いを、桂沢方面に向かいます。
三笠の炭坑歴史では、幌内地区からスタート次に開発されたのが幾春別地区です。
現在は、野外博物館エリアとして整備され炭坑の歴史を歩きながら見学できます。
幾春別地区の博物館です。
幾春別に炭坑が開坑(明治18年)された当時は、この博物館の有る場所に小規模の坑口が多く有り
選炭場等炭坑設備が有った所だそうです。

幾春別駅跡の碑。
幾春別炭坑開坑にあわせ、幌内太駅から延長された駅で桂沢湖方面からの木材
運搬の基点ともなった駅でも有るそうです。

博物館前公園を散歩してると、『幾春別の詩』の碑
作曲 宇崎竜童 作詞 奥さんの阿木女史
歌手は三笠出身の倉橋ルイ子。 この地は彼女の幼い頃の思い出の地
スイッチを押すと曲が流れる仕組み。 カメラ動画で撮って見た。
風が有り、最初は旨く入ってない、後半は良い。
動画。 幾春別の詩 倉橋ルイ子 2分48秒
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VPS 博物館前に珪化木。
地層に埋まった木に珪酸がしみこみ、オパール又はめのう化した石。

野外博物館エリアに歩き出します。
三笠市の奥桂沢湖周辺で切り出された木材の運搬で、作られた森林鉄道の線路跡を利用してます。
歩いて50分の1億年時間旅行散歩道ですよ。

幾春別川、 奇麗な清流でした。 渓相も良い。

野外博物館エリアの案内板、子供連れでも適当な距離ですよ。

森林鉄道時代の基礎が残ってます、昭和13年から31年まで運行。
大木を満載にした姿が、浮かびますね。

開鉱初期の石炭大露頭(右側)と、幾春別地区の様子(明治22年頃)
石炭の露頭は、聞いた事ありますが、これほどの大規模には驚きです。

5000万年前の幾春別層。
大露頭とトロッコ線路、明治30年頃の記録

幾春別川沿いを歩いてると、川沿いに錦坑坑口跡が有りました。
この付近の石炭層は垂直、坑口から垂直に約197㍍下がった所に地層にそって
いくつもの坑道が延びてるそうです。

山側に石炭の露頭が見られました。

地中で長い時間をかけて、高い温度と圧力で石炭化した物が、地殻変動で地表
に出たのですね。

整備された見学通路を歩きます。

力強い大地の動き『垂直な地層』
もともとは、地層は水平に重なり歴史を刻むものですが、ここ幾春別層の石炭層は
垂直にまで、地殻変動を受けてます。

狸堀りの説明板が有りました。
この付近の石炭層は、ほぼ垂直のため、狸堀りあとは、まっすぐ奥へ堀進められている。

実際狸堀り跡が有りましたよ、明治期から昭和初期まで行われたそうです。

『5000万年ひとまたぎ』地層近づいてます。

この場所が地層の分かれ目。

地層の説明が有りました、 難しい。

これだけは分かりました、山側に向かい右側の5000万年前の地層幾春別層
からは、石炭層を含んでおり、左側の1億年前の三笠層からは海の化石が多く発見されてる。

ひとまたぎ隧道。

この部分が断層だそうですが、説明出来ない。
分かった事は、1億年前の三笠層は硬い岩盤だった事ですね。

三笠層から出る、イノセラムス。
大きさ1㍍近い物も出てるそうですよ。

神泉隧道に来ました、昔を想像しながら気持ち良い散歩道の感じですね。
森林鉄道の為素堀りのトンネルです。

1億年前の硬い岩盤、奥に進むにしたがい、三笠層の古い岩盤に成りますね。

旧幾春別炭坑『錦立坑』入口の案内。

登りが有りますよ、 整備されてます。

開坑当時は坑道方式で採炭してましたが、大正8年に立坑を建設
櫓高さ10㍍、深さ195㍍。 現存する立坑では北海道最古の櫓だそうです。

地下から出る、立坑部分。

巻き上げ動力設備が有った所でしょう。

帰り道で幾春別川で、渓流釣りを楽しんでる人を見かけましたよ。

大人でも楽しめる場所ですね、気持ち良い。
子供連れの散歩には、最適ですよ。
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- 2014/10/21(火) 12:09:40|
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