オジサンの車中泊ミニぶらり旅、歴史を訪ねて道央から留萌街道に入る。 過去ログ
北海道に現存する駅逓所9箇所の内、見学は6箇所目になります、沼田町、本願寺駅逓所
を紹介しますね。
明治時代の駅逓所制度に付いて簡単に説明してます
『駅逓所の役割』 クリック
本願寺駅逓所は、沼田町集落から少し離れており、分かりづらい。
調査していた、住所からカーナビ、マップコードでようやく到着、今まで見た中では
外観にも特徴が有り、ぜひ内部見学がしたいが、無人、見学したい場合はここえ電話と有る。
私は、今時珍しい携帯持たない派、田舎です、公衆電話など無い。
向かいに、北竜簡易郵便局が有る、女性の方一人勤務お世話になりました。
書かれた電話番号では、留守で出ない、多分個人に依頼してるのでしょう。
職員の方は、沼田教育委員会に連絡してくれました、すぐ来るとの事皆さんにお世話になりますね。
まもなく、車で沼田教育委員会次長、Sさんが鍵を開放、一緒に案内までして頂きました。
私に取っては、ラッキーな見学になりましたね。
場所はこの辺に成ります。国道275号線沿い。
本願寺駅逓所です。 S次長さんに歴史を聞く事が出来ました。
明治27年に建てられて、明治33年官設の駅逓所と成ってます。
北海道指定有形文化財の指定、2階建で当時この駅逓所の大きな役割は、札幌や旭川と
留萌を結ぶ、旅人の宿と馬を休め、奥地の開拓に当たっている人々に手紙集配だった
そうですよ。 雨竜川が近いので、船運も有ったかも知れません。

玄関です、玄関の屋根に今まで見た事の無い特徴を感じましたね。

2階です、 切妻屋根で、白漆喰塗りの壁、堅繁格子、一階全面には『セガイ造り』
2階正面に『たてしげ格子の出窓』など旧態をとどめた数少ない遺構で、貴重な物ですね。

裏庭から。 昔の日本家屋には何処となく貫禄を感じますね。

中庭です。

玄関のひさし。 設計者は本州の方だったのでしょう。

建物には、昔懐かしい物ばかりが展示。

ランプも有りますね、子供の頃ランプのガラス部分の掃除は私の担当でした。
手が小さいので、中まで手が入る、スス掃除ですね。

台所、客室、廊下方面。

台所です、広いですね。 利用客多かったのでしょうか。
奥の床の物は、水ガメかな。

客室です。

客室、広いですね。

2階階段です、大きな駅逓所です。

頑丈な作りの手すり。 現在の新築住宅ではこんな景色はもう有りませんね。

2階の床の間、取り扱い人夫婦の写真が残されてましたよ。

教育委員会のSさんと、郵便局の職員の親切で、ゆっくり見学出来ました。無料。
昼食の時間に成り、何時ものオニギリ、タイム。 暑い日で日陰が無い。
1〜2㎞先を見ると、林が見える。
そこは、偶然にも北竜小学校の廃校跡でした、北海道の田舎を歩いてると、実に多い。
廃校、廃坑、廃耕、離農、廃屋、感じますね。道産子として寂しい、これも時代の流れでしょうが
その中でも、それを旨く逆手に取って盛り上げてる行政も有る。
北竜小学校廃校跡です。

この場所は、この地方の教育発祥の地だそうです。

二宮金次郎の銅像は残されてましたよ。

グランド、バックネットです。 長年多くの子供達が楽しんだのでしょうね。

せっかくですから、沼田神社参拝。
沼田の町名の由来は、開拓の功労者沼田喜三郎の姓だそうです。
北海道の開拓では、何処の地区の開拓でも中心となる人物が居ますね。

本殿と御神木です。

町単位で神楽殿は珍しいですね。

深川市から留萌、増毛方面の留萌線。 石狩沼田駅。

車中泊場所『鐘のなるまち、ちっぷべつ』到着。
鐘の塔です、道の駅駐車場の真ん中に有り、朝、夕6時大音響の鐘が成りますよ。
開拓時代にこの鐘で、朝、夕を知らせたのが伝統として残ってる。

場所です。
秩父別町メインストリートには、鐘のなるまちのアーチが。
この地方の開拓は、明治28~29年に屯田兵の入植で開拓が始まってます。
北海道開拓と屯田兵の関係は、どの地区でも出て来ますね。

道の駅近くを、散歩してると開基百年記念、百禄園です。 平成3年建立。

オンコ(イチイ)と石、水を旨く使った公園でした。
手入れは完璧。

本願寺駅逓所の名称ですが、開拓時代の市街地名は雨竜郡北竜字沼田仁多志別でしたが
本願寺農場用地に有ったので、『本願寺駅逓所』と呼ばれるようになったそうです。
秩父別道の駅の朝6時、巨大な鐘の音で起こされましたよ。
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- 2014/09/30(火) 12:08:04|
- 駅逓所
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