深川市は旭川市から札幌市に向かい、神居古潭を過ぎたら直ぐの市です。
音江法華駅逓所は、深川市街から離れた少し高台に有りました。
そこは、明治時代樺戸囚人が開削した道路で、当時上川道路と呼ばれてた。
現在は、別の場所に国道12号がメインコース。
明治時代の駅逓所制度に付いて簡単にここで説明してます。
『駅逓所の役割』クリック
駅逓所跡を予想して到着した所は、深川市水稲発祥の地、旧鷲田農業事務所跡で有り、自分には
予想外の所に案内してくれた、カーナビに感謝ですね。
拡大して見ます。
中央保育園前の川が音江川、その向かい側が深川市水稲発祥の地、
『旧鷲田農場事務所跡』でした。
『旧鷲田農場事務所跡』を見学。無人の歴史的建造物。

この場所で深川市の水稲が始まったのです。
明治22年に音江に移住してきた高橋惣吉が、自宅近くで試作明治25年本格的に耕作
明治30年代には深川各地で行われたそうです。

『旧鷲田農場事務所跡』 駅逓所を訪ねてこんな歴史に逢うとは、思いませんでした。
事務所横から、明治末期に建立、和洋の特徴が有る。
二階は伝統的な和室のようです。

深川市指定有形文化財です。

鷲田軍蔵氏が明治25年開墾を始め農場を経営、明治34年には音江郵便局長となる。
昭和5年には、音江村役場庁舎となり、その後深川市に合併したのですね。
事務所裏には、子供時代に良く見た北海道の風景、馬車が有りました。
冬は、馬ソリに変わります。

裏庭は、開拓時代を思わせる林でした。

前庭は整備された庭園風景。

外観は完全に洋風、農業関係の事務所跡とは想像出来ませんね。
それも、明治の時代ですからね。

深川市の水稲耕作の歴史には、高橋惣吉氏、鷲田軍蔵氏が大きく貢献してる事が分かりました。
農場事務所近くを散歩してると、隣りに最近更地にしたと思われる土地が有りました。
伐採された、木株を見ると大木、この地には多くの歴史が有りそう、そんな感じがしました。

音江法華駅逓所を、訪ねてきたのでしたね。
向かいの保育園が、散歩に出る所でした、聞いて見ると『あそこ』ですと見える位置
音江保育園前の音江川です。ここの駅逓所は船運が大きな目的では無さそうですね。
石狩川までは、距離が有ります。

やっとたどり着いた、音江駅逓所跡です。

そこは、小さな集落の中に有りました。昔はこの前が上川道路。
宿泊と運送の便が主だったようです。
ある日の夕食紹介しますね。 宿泊料30銭、 夕食、クジラ、豆腐、セリの煮物、
ミガキニシンの煮付け、シイタケの汁物に漬け物。 十分な夕食風景ですよね。
説明板だけの史跡です。

近くの民家の庭には、ヒメリンゴ?

深川市に寄り、深川神社参拝してきました。

境内に有った、深川神社三代目宮司、浦武四郎先生顕彰碑です。
浦家は、奈良県十津川村からの移住した代々社家で、この地の開拓に貢献、教育と
文武両道で活躍された方のようです。
十津川物語を読んで見ると、十津川に移住はしたけれどその過酷な開拓生活に
疲れ、深川、旭川に再移住した方もいたそうです。

音江駅逓所の訪問が、カーナビの思いやり案内『?』で深川市水稲耕作の
歴史を知る事が出来ましたね。音江保育園の先生にもお世話になりました。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。

- 2014/09/27(土) 11:02:03|
- 駅逓所
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0