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オジサンの車中泊ぶらり旅&日記

車中泊の旅過去ログ&旅行&日記など綴りたいと思います

旭川市、東旭川町に旭川神社、学校名は旭川小・中学校名〜その歴史は〜2014.9.24

   道の駅あさひかわで、車中泊。 場所が旭川駅裏との情報で夜の駅前平和通でも
   散歩と思ってましたが、忠別川を挟み結構な距離、高齢者にはきつい、あきらめて
   付近を散歩。

   東旭川は旭山動物園で、全国区に成りましたね。
   旭川近郊の全体地図に成ります。





  私が子供の頃東神楽村に住んでた時は、東旭川村はまだ旭川市に合併前でした。
  子供心に東旭川村なのに、神社は旭川神社、学校は旭川○○小学校、旭川○○中学校の名
  
  その不思議には、開拓の歴史が関係してると思い、今回調べてみる事に。
  現在の旭川市、東旭川町の旭川神社に『旭川兵村紀念館』が有る、そこへ。





 地図にも有りますね、そこは都合良く旭川神社も近くでした。
 学校名も旭川名の、学校名が分かりますね。 本当なら旭川に合併前の東旭川で良い。

 屯田兵開拓の歴史が関係してました、それも不可思議な。

 旭川近郊の開拓は明治23年旭川、神居、永山が開村、25年に神楽村が開村してます。
 この時期に屯田兵が入植、開拓、北方警備とこの地区が発展して行きました。

 その起点が現在の東旭川の地域で『旭川兵村』と呼ばれてたそうです。
 その当時の、現在の旭川市街地は『忠別市街地』としてまだ、まだ発展はしてない。

 明治30年に成り、忠別市街地に七師団の移駐で戸口増加、本来の旭川であった『旭川兵村』
 を永山に編入し、後から人口増加の有った忠別市街地を『旭川』として独立させたのですね。
 
 この成り行きは、地元の『旭川兵村』は知らぬまに道庁の告示だけだったそうです。
 (そうなる、動きが他から有ったそうですが)
 当然、『旭川兵村』から猛烈な反対運動が出る。

 結果、永山村に無断で編入された『旭川兵村』は再び分離し、旭川に東を付けて東旭川
 とし、神社、学校はすべて旭川の名称で呼ばれる歴史になったのですね。

 本当は今の東旭川区域が、旭川として発展した可能性もあったのですね。
 道産子以外の方には、理解しづらいブログに成ったかも知れません、旭山動物園
 の町、東旭川にはこのような歴史も有ったのです。

 ?十年前から、疑問に思って事が解決しました、自己満足かも知れません。
 お許しを。


 旭川神社も参拝して来ました。 この神社にはすごい歴史が有った。
 国道から入る大鳥居、全道一高い鳥居だそうです。


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 東旭川開村記念碑。


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 旭川屯田兵練兵場跡です。 史跡が多く非常に広い敷地でしたよ。


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 旭川神社鳥居から。
 この旭川神社は、伊勢神宮の御分霊である事です。
 伊勢神宮の御分霊は一切許されない時代、屯田中隊長菊池氏が、北辺の防衛と北海道開拓の重責を
 担って酷寒の地で苦労を重ねてる、屯田兵や家族の実情を説明し、特別に許可された歴史ある
 神社なのです。
 旭川の冬は、内陸性気候で本当に厳しい環境、屯田兵幹部もそこを考えたのでしょうね。


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 鳥居の右が社務所、神楽殿もありました。


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 参道脇の小砂利が、京都の神社、仏閣を思わせる手入れ、スジが奇麗に入ってました。


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 女性の参拝者が一人。


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 本殿です。貫禄ですね。


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 境内に有った『おもかる石』
 神社参拝の後、先ず石を持って重さを覚えます、次に石に両手を当てお願い事をする。
 次にもう一度石を持ち軽く感じたら叶う、重く感じたら最後に一礼。


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 境内社、若宮八幡神社。 愛宕神社。
 鳥居大正4年建立とありました。


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 石碑。 石柱に東旭川村の文字。


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 ヘビ石??  作ったようには見えませんでした。
 自然石?


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 旭川兵村紀念館石碑。


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 紀念館全体です、大きいですよ。
 ここで、私の長年の疑問が解けましたね。


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 正面玄関、建物も立派ですが、歴史の引き継ぎを大切にする
 気持ちが伝わりましたね。


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 境内社、 顕勲神社。


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 練兵場跡でも有りますね、零式艦上戦闘機のプロペラが展示。


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 加藤の松
 加藤建夫『隼』戦闘機の名パイロットの生家の松で、この地に移植したそうです。


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 神迎えるハルニレ。
 明治25年屯田兵の練兵場を開設のため、密林を伐採中このハルニレの根元に熊の
 頭蓋骨が4個を発見、アイヌの霊樹と考え残された物です。 樹齢300~400年


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 根元を見ると風雪に耐え、開拓屯田兵の力を感じます。


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 この神社にも土俵が有りました、今もお祭りには子供相撲大会有るのでしょうかね。


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 開拓の時代から、この地が旭川だったと言う写真がありました。
 現在の東旭川町に有った小学校です、校門に旭川の名称が見えますね。


旭川小学校


  歌。 『わが美しき故郷よ』  畠山美由紀。





 昔は東神楽村からは、距離はあまり有りませんでしたが、忠別川には
 今のように橋が有りませんでした。近くて遠い村でした、東川村もそうですね。
 
 疑問が解けた、故郷散歩でした。


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  1. 2014/09/24(水) 11:47:32|
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Author:N.PIKA
大雪山を一望できる上川盆地で育ち、旅、登山、釣りを趣味として年輪を重ねたオジサンです。
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