札幌近郊、特に石狩川の旭川に向かい右側、千歳川近郊の明治時代の歴史
を訪ね、紹介して来ました。
それは、石狩川左側(275号線方面)日本海方面に向けての古い歴史遺産は
無いと自分では思ってました。
調べて見ると、北海道の開拓の歴史は明治と共に全道的な活動だったのですね。
『オジサンの車中泊ぶらり旅』ミニ出発する事にしました。
ブログは都合により、過去ログに成ります。了解下さい。
故郷旭川方面、沼田、増毛方面の歴史散歩して来ますね。
今日は、樺戸郡樺戸駅逓所跡を紹介しますね。
浦臼町、275号線沿い、札幌から見ると石狩川の左側初の駅逓所に成ります。
この辺りの開拓は、現在の12号線側が中心だったようで、鉄道の開通もこちら側
が中心でした。。12号線は昔は囚人道路と言われてたそうです、厳しい工事は主に
囚人が関係したからですね。北海道の開拓の歴史にはそんな所が多いです、トンネル
鉄道、ダム工事ですね。
樺戸駅逓所跡の情報は、つるぬま道の駅を新十津川に向かい2~3㎞先でした、小さな商店が
有る所、何度探しても分からない。
最後の手段、つるぬま道の駅へ、知りませんの一言、地元の宣伝の意識がまったく感じられない
ただ、商品を売る店屋の感じをしました(申しわけありません)
浦臼歴史資料館で、情報を得る事が出来るかも知れません、向かいました。
行いが悪いのでしょうか、休館日。 奥に見えるのが資料館です。

広い敷地に大きな蒸気機関車の動輪が。
この動輪は、開通当初の動輪を国鉄から寄贈されたものです。

説明板が有りました、浦臼への入植は、明治24年だそうですが、この切っ掛けが
小樽、砂川間に鉄道の開通によるところが大きいそうです。
開拓が進むにつれ、農産物の輸送が石狩川の船運や、渡し船で鉄道利用と大変不便に成って行く。
石狩川の反対側の集落、現在の当別、月形、浦臼、新十津川、沼田等の住民が鉄路施設に努力を
そそいだそうです。
念願かない、大正元年から工事に入り昭和10年現在の桑園から石狩沼田間の総延長111,4㎞
が全通したそうです。
札幌〜旭川線に遅れる事45年も有ったのです、感動でしたでしょうね。
私も現役時代、学園都市線として毎日利用させて貰いましたが、こんな長い苦労の歴史等
知らずに乗ってましたよ。

資料館休館でしたが、ここの鉄路開通の歴史を知る事ができましたね。
樺戸川駅逓所の、情報を得るには後役場しか有りません。
(何人かの町民の方に聞いて見ましたが分かりません)

3人の職員の方が、詳しい地図を見て調べてくれました。
役場には、我々の知らないすごく、詳しい地図を持ってる事を知りました。
そんな時、奥のデスクから若い職員が知ってますよの声。
商店の横ですよねの言葉に、その方はもう閉店してますの言葉、見つけられない
原因を知る。 皆さん親切な対応有り難う御座いました。お陰で諦めずにすみました。
ようやく、発見です。到着です。
雑草の中、これでは分かりづらい。

樺戸駅逓所跡の石碑、 近くを手で草刈り(笑)
今までの駅逓所は、そこに有る意義の想像は出来たのですが樺戸川駅逓所がここに開設
した理由が分かりづらい、石狩川から離れて居り、洪水をさける位置からか?
開駅明治24年 廃止大正元年。

『稜位』の石碑が並んでる。
『浦臼先住者 青木六蔵氏贈之』と刻まれてる。
青木氏は初代の取扱人で、青木氏に贈られたものか、青木六蔵氏が先住民族に敬意を
示したものか不明のようです。この地にアイヌの方々が住んでた歴史は有るようですよ。

駅逓所探しで混乱した、閉店した商店は直ぐ隣りでした。
開店中は、駅逓所跡地の手入れをしてたのでしょうね。
今度ここを、通る時は草刈りカマを持っていきます。

つるぬま道の駅に近い浦臼神社を参拝させて貰いました。

大鳥居、浦臼神社は明治43年落成、当時は無社格。
大正6年本殿新築、村社となってます。

参道には昔住民が苦労して、開設した線路が。

線路を渡ると、急な階段の参道が待ってました、高齢者にはきつい。

到着です。

本殿参拝。

帰りもつらい、私は昔右足首を怪我してから登りより、下りが苦手。

参道を下り、国道275号線に出ると前につるぬま公園が有ります。

キャンプも出来るようですよ。

ボート遊びも。

浦臼町職員のお世話に成り、諦めずにこの地にも駅逓所開設の歴史が、有った
事が確認出来ました。有り難うございました。
この後、新十津川町に向かい奈良県十津川村からの移住歴史を少しでも感じて
見たいと思います。
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- 2014/09/06(土) 11:54:44|
- 駅逓所
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