江別市は、札幌市から道央旭川市に向かう国道12号線、JR 線に中心街が有ります。
明治の時代は、前回のブログで紹介した、対雁駅逓所跡が中心地だったのですね。
江別市は、紙の街、レンガの街のイメージが私には強い市です。
現在も大きな製紙工場が有ります。
江別神社参拝で、立寄しましたが思いもしない歴史を知る事に成りました。
江別を中心に、この地域にも屯田兵の歴史が有ったのです。
上の地図で左側に対雁の地名が見えますが、駅逓所跡はこれより国道275号よりになります。
江別神社、屯田兵跡です。
江別神社は小高い丘の上に有り、裏側には交通量の少ない広い木陰に成る場所が有りました。
一人の女性の方が通りがかり、丘の上を指指しあれは、火薬庫ですよとの言葉。
意味が理解出来ずにいると、屯田兵の火薬庫との話、これを切っ掛けに江別にも屯田兵の
歴史があり、調べる機会にも成ったのです。
火薬庫は江別市指定文化財です。
入植は明治11年でした、札幌琴似に本部を置く第1大隊に所属、総計445戸の入植でした。

火薬庫です。
明治19年頃建てられ、レンガ造で『S』の刻印から白石の鈴木レンガ製だそうです。
現在向かいの萩ヵ岡小学校付近に土塁が盛られ有ったそうです。

明治20年に第三大隊として独立、江別、篠津、野幌屯田として編成されてます。
大隊本部の建物は昭和9年、失火で焼失現在は火薬庫だけが残されてます。
(篠津、野幌は現在も地名として残ってます)
説明板が有りました。
明治政府に成り、北方警備と開拓に力が注がれたのが想像できますね。

林のトンボです、気温が高い性か今年は早いように感じます。
異常気象は、動植物まで勘違いさせますね。

近くの林に二宮金次郎の像。江別萩ヵ岡小学校を眺める位置に成ります。
昔は何処の学校でも見かけましたね。 金次郎は父は14歳、母は16歳の時亡く成ってる
のですね、小田原市の裕福な家庭の小でしたが、その後苦労したそうです。
24歳で元の家庭に再興したそうです。

江別神社鳥居前から。

明治18年、熊本県より移住した屯田兵の守護神として、加藤清正公を江別市緑町の飛鳥山
にお祀りしたのが創始だそうです。
飛鳥山は現在も公園として有りました。
歴史を感じる拝殿です。

石碑です。

境内に有る燈籠からも歴史を感じます。

丘の上ですが、広い境内です。

昔は、お祭りには神社で子供相撲が有りましたね。
今はどうなんでしょうかね。

大きな松の木に、子供のクワガタが。

神社参拝後、散歩してると札幌軟石を使った重厚な石蔵が、撮らせてもらいました。

札幌から25㎞程離れた距離ですが、交通手段の無い明治初期、この地でも
札幌とほぼ同時期に開拓の歴史が有った事を知りましたね、道産子でも新発見
が多く有りますね。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。

- 2014/08/06(水) 11:43:42|
- 北海道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0