八紘学園、花菖蒲園見学後近くの月寒公園を、久し振りに散歩して来ました。
北見時代札幌旅行で、子供達と広い公園を歩きボートに乗った記憶が有る公園です。
野球場が二面、テニスコート、冒険広場などが有る大きな公園ですが、運動関係は
大改修中のようでした。
札幌中心から見れば、南方面に成るでしょうか、千歳に向かう国道36号線が近いです。
駐車場完備、無料は有り難いですね。
神社が有る公園は、その地区の歴史を知る機会が多いですね、歴史上の石碑が有ったり
説明板が有ったりで、この公園も月寒神社が有りました。
ここ月寒地区の開拓の最初の定住者は、安政4年(1857年)と知り驚きました。
屯田兵を含め、ほとんどが札幌近郊は明治10~20年代、この地の入植は早かったのですね。
月寒公園の門を入ると直ぐ無料駐車場が有りますよ。

公園に入ると直ぐ目に入るのが、緑に囲まれた時計台です。

公園に入ります、まだ新緑ですね。

池が有ります。

昔子供が小学生の頃ボートに乗った場所です、昔のまま、懐かしい。

池の廻りの、アジサイがようやく一部開花。

池の淵では、鴨の集団が休憩中。 人が近づいても驚きません。
いたずらされて無いのでしょうね。

巨大なしだれ柳、久し振りに見ました。

神社の有る、丘に登ります。

参拝の方が多いようです。

丘の上には、大きな石碑が有りました。
『開町五十年記念碑』と『吉田善太郎功労碑』でした。
五十年記念碑の建立は、大正9年ですから、当時豊平町として50年の歴史が過ぎてたのですね。
本格的な開拓が始まったのは、明治4年、岩手県から月寒地区に44戸が入植したそうです。
吉田善太郎氏は、月寒開拓移民団として、父と共に移住、明治14年父亡き後長男善太郎は
弱冠20歳で家長として一家を支えた方で、業績の中で特筆されるのが、清田、北野、大谷地
下白石(これは全部地名で今でも残ってます)を経て月寒川に至、約6㎞に達する水田用水路
を作りあげ、現在この地の発展に大きく寄与された方です。

月寒神社です、苦難の歴史を見てきたでしょうね。

参拝して来ました、先人に感謝して。

広い丘を散歩してると忠魂碑が、この地方から国の為に!!!!の碑。

この公園は良く整備されてます、私的には整備され過ぎの思いがしましたが。
もう少し、自然でも良いのではと!!

『永遠の像』
札幌市と豊平町の、合併は昭和36年だそうですが豊平開拓の先陣の偉業をたたえ、
郷土豊平の発展的終焉を記念してこの公園に建立されたそうです。
当時の豊平町の行政区域は、現在の豊平区、南区、清田区の大部分を含んでおり、この
合併で札幌市が、国際的な都市と成る足がかりと成ったのですね。
この像を見てると、豊平人の郷土に対して発展させて来た誇りを感じました。
札幌市との合併にもいろいろな感情の方がいたでしょうね。

遊歩道を歩き池方面に戻ります。

『月寒開基百年の碑』
入植した人達は最初44戸(185人)でした。
その地は、ナラ、イタヤなどの大木と人間の背丈以上のクマザサだったそうです。
かなりの方が、郷里に帰る方が出たそうです。しかし、10年後くらいまでには、農業
人口も次第に増えたそうです。
草分けとして月寒に入植した44戸は、100年以上の年月が流れその名を、とどめているのは
吉田善治、似鳥仁太郎、長岡重治、岡田駒吉、広瀬末治などの子孫にあたる人たちだけと成ったそうです。
開基百年を記念して、この碑を建立してます。

丘を一周して、池に戻りました。

公園では、運動関係、冒険広場など広い場所が工事中でした。
高齢者には、今の広さでも十分でした。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。
- 2014/07/28(月) 10:59:51|
- 札幌
-
| トラックバック:1
-
| コメント:0
札幌市豊平区エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。
- 2014/07/29(火) 08:42:22 |
- ケノーベル エージェント