明治中期から、昭和46年まで栄枯盛衰は有った工場でしたが、鴻之舞金山
に次ぐ第2位、東洋一と言われた設備の時期も有りました。
第Ⅰ報(6月10日)で滝の沢川沿い(ここは明治の時代)第Ⅱ報(6月22日)
で、金山川沿い(ここが最盛期の時代)の一部、第Ⅲ報(7月5日)で滝ノ沢川沿い
上流部と、紹介して来ました。
その間熊出没騒動等有りましたね、残るのは金山川沿いの巨大な、鉱山産業遺跡
の全体像の探索でした。
そこは、急傾斜地を利用した巨大な工場だった事を思わせる、森に成ってしまった
産業遺跡でした。 場所はこの当たりです。
工場は下から見ると山頂に向かい何段にも成ってる。
前回は、二段目下まで報告しましたが、制覇する為には靴、服装等それなりの準備が
必要でした。
下から見た風景です。

今回はⅡ段目以降から紹介しますね。Ⅲ段目工場です。ホッパーが多く見られました。
各段の渡りにも、設備跡が見られ、かなりの急傾斜地に有ります。

どんな、役目の設備跡か想像もつきません。

Ⅲ段目工場の裏側に成ります。
後何年かすると、木の森にしか見えなく成る時が来ますね。

Ⅲ段目とⅣ段目のつなぎ部分には、ホッパーが。

Ⅳ段目工場裏。

五段目工場裏。
作業員もこの、窓から外を眺めながらの時代が有ったのですね。

五段目工場内もハッパーが多い。

五段目と六段目間です。

五段目工場上から登って来た工場を眺めてます。

遠くには、手稲区がその向こうは石狩湾に成ります。

五段目工場内。

最終六段目工場まで登りきりました。

最終工場内もホッパーが多い。

工場頂上の裏面に成ります。

急傾斜地で工場と山に仕切り壁が。

ほとんど、ジャングルの工場を思わせる所も。

最上部の屋上から手稲の街を。

こちらの山の向こう側が星置方面、明治時代の鉱山遺跡の有った。
滝ノ沢方面ですね。

何処も風化が進んで危険箇所が多い、自己責任ですね。

穴も多い、一歩、一歩慎重に成りますね。

鍾乳洞で見かけますね。

下山後(?) ただ一つ残ってた設備が有りました。
その工場裏です、この当たりは地下ピットが多く有りました、穴も多い危険地帯。

見られたのは、フイルタープレスでした。
工場群の最終地点ですから、貴重品の濾過器だったのでしょうか。

濾過するチャンバーが何枚も有り、そこにスラッジをチャージして、油圧の圧力で
濾過する機械でした。
油圧ポンプと真ん中が油圧ピストンですね。

部屋には、操作説明書が張ってありました。
金、銀の産出量に期待を込めて作業した方の表情を思い浮かべながら見させて
貰いました。

手稲鉱山産業遺跡探索で4回、山歩きしました。
私の驚きは、大都会札幌市を見下ろせる場所に、金、銀、銅、亜鉛を産出した
鉱山の歴史が明治時代から有った事でしたね。
各段には、ホッパーが多く見かけましたが、各段の上部に設備が有ったが閉山時
撤去されたのだと思います。
当時はもっと巨大に見えた鉱山工場だったと、想像しながら歩いてました。
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- 2014/07/12(土) 11:02:02|
- 札幌
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| トラックバック:0
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| コメント:2
> ここは立ち入り禁止の場所だよ。そもそも撮影許可おりないし。君のようなルール無視で自分勝手な人が、真摯な写真家の肩身を狭くしている。
山好き、古い歴史好きで札幌近郊にこんな歴史の場所がと当時興奮しながら探索した記憶があります。
冷静に考えると、現在も権利者が有るはずルールからはずれてました、以後何事にも冷静に行動したいと思います。
- 2017/04/04(火) 10:48:02 |
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- N.PIKA #-
- [ 編集 ]
ここは立ち入り禁止の場所だよ。そもそも撮影許可おりないし。君のようなルール無視で自分勝手な人が、真摯な写真家の肩身を狭くしている。
- 2017/04/03(月) 19:57:21 |
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- #-
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