札幌は昨日、15日振りの青空と太陽が顔を出す。
毎日何処かで、雨が降る記録だそうです、サクランボ、イチゴ、等果樹農家
では、影響が心配されてます。
札幌の『熊』騒動も盤渓地区、藻岩山地区に集中しており、手稲鉱山跡までは
少し距離も有り、久し振りの好天にガマンならず、準備万端で出動で、第二報がようやく
報告出来ます。
第一報の北尾根滝の沢地区は、明治中期の金山発見当初の遺跡でした。
本格的鉱山活動としての場所は、少し離れた金山川沿いの地区に有りました。
左方向に、第一報で紹介した、滝ノ沢川コースの乙女の滝が有りますね。
地図に出て来る『金山』は『かなやま』地区名です。昔の『金山』きんざんが残ったのでしょうね。
明治中期の発見から廃坑の昭和46年まで、実に栄枯盛衰を経験した鉱山だったそうです。
個人経営から、鉱業権の移転で三菱の大企業までの歴史が有ります。
一時期は鴻之舞に次ぐ日本第2位の産出量を成し遂げ、東洋一の設備と言われた歴史も有る。
金、銀、銅、亜鉛などを、製品としていたそうです。
手稲鉱山産業遺跡、最盛期の場所にたどり着けました紹介します。
札幌市民も多くの方は、市の近くでの、この歴史は知らない方が多いと思いますね。
金山川沿いの山麓近くまで、住宅街に成ってました。
傾斜地の複雑な、住宅街若い人に聞いても分からない、高齢のオバーチャンは昔の事を良く
知ってました。これで、道順は心配無し。
手稲鉱山登り口です。民有地で車は入れません。太い砂利道からスタート。
車止めのゲートが有りました。

少し高度を上げ振り返る、星置の街です。

カーブが多いです、分岐も有りますが太い道を歩く。
登る前のオバーチャンのアドバイス。土曜日で数人入山してるようです。
熊に対する不安少し解消。 少し道が細く成って来ました。

選鉱場跡が見えて来ました、やはりここが、本格的操業に入った場所ですね。
大きいです。

近くの金山川は、水無し川。 滝ノ沢川、星置川とは大きく違います。

工場前に到着、鴻之舞に次ぐ第2位の産出量だったのが想像出来ます。

山頂に向かい、工場群が何列にも分かれてます。
4列ぐらいには、見えました。 東洋一の設備と言われたのが分かります。
最上段まで、歩きたかったですが今回はあきらめました。 次の機会。

最下部の工場跡。

内部、小さな部屋が沢山、どんな役目の工場部だったのでしょうね。

後ろに回り、後部から、土の色が独特です。 工場の廃棄物ではなくこの当たりの
土質の色のようです。

二段目の工場、まったく役目の想像も出来ない構造。

横から。

工場の高い所から、手稲区、石狩湾方面に成ります。

最下部の工場に残ってた、ボーリング調査のサンプルです。
深度500㍍と有ります。 金の含有量の多い所を探したのでしょうね。

別角度からの工場です。 この鉱山の栄枯盛衰が、多かったのは金、銀等の含有量
が、場所により大きく違ったようですね。
含有量の多い所が少なかったのでしょうか。

資料によると、最盛期の坑道が残されてるそうで、さらに上を目指し登る。
星置の街が良く見えます。

登ってくと、排水処理設備が有りました。先ほどの工場とは離れた所。
これは、クラリファイヤーと言う設備で、不純物と反応する薬品を混合して沈殿させ
浄化された排水を、オーバーフローさせる物です。沈殿物は下にレーキが着いて居り
取り出す仕組み。
想像ですが、閉山後の坑道跡の排水処理設備かも知れませんね。

さらに、登ったところで坑道跡に到着。
滝ノ沢川沿いで見た坑道跡とは、比較になりません。

入り口上部には、右読みで『星置通洞』と有ります。
歴史の鉱山を感じました。

坑道トビラのすき間から、坑道入り口です、トロッコレールが見えました。

資料には、金山坑道の位置が示されてます。

登り口で、オバーチャンと話をした所の、水の無い金山川の湿地帯が整備されて居り
所々にベンチが有り、花も植えてありました。
山の麓の人達が、楽しんでる場所なのが分かります。
オバーチャン達が植えた花かも知れません紹介します。


閉山が昭和46年、道は荒れてません砂利道そのまま、多分今も閉山後の公害防止
で、活動されてるのでしょう。
熊騒動と天候で第二報がようやく投稿出来ました。
調べて見るとまだ、見落としが有るみたいです。
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- 2014/06/22(日) 09:55:43|
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