オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
旅で出会った人達を思い出し、自分の備忘録として残して置きたいと思います。
何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。
☆ ☆ ☆
平成25年6月18日 道の駅おがち近郊の山奥、日勝館での出会い。
道の駅で近くに日帰り入浴温泉聞いて見た、有りました『日勝館』です。
地図にも出てない、一軒宿のようです。 楽しみ。
心細く成るような、細い道路を山奥に進みます。

行き止まりの、一軒宿です。 駐車場は狭く、5~6台。
私が着いた時は、客は私だけ。 地図では湯ノ沢温泉と成ってますが、方向、距離
行き止まり、等考えると『日勝館』と思います。 名前が変わったのでしょうか。

激流の川を渡り、急傾斜を利用した、こじんまりとした感じの良い温泉。
私は、大浴場よりこれが好き、楽しめそうです。
まもなく、オジーチャンが入浴、 北海道から来た人はあなたですか、と声が掛かる。
車のナンバーで、北海道の人に逢えるのが楽しみに入って来たそうです。
それには、意味が有りました。
オジーチャンは、88歳。 週に一回温泉に来てるそう、車の運転もOK.
雄勝の小野小町伝説、雄勝の歴史等いろいろ、話て貰う。
でも、オジーチャンの本当に話したい事は、他に有りました。
オジーチャンは、24歳の時北海道、帯広近郊の山に出稼ぎの経験が有りました。
冬の造材の仕事です、 昔は山からの木の、切り出しは冬だったのですね。
当時は馬で運ぶ、その方が便利だったのでしょう。
東北からの、冬の出稼ぎは多かったそうです、オジーチャンも何年も続けたそうです。
飯場の生活、寒さの記憶は今でも忘れないそうです、燃料はいくらでも有るが、建物が悪い。
出稼ぎ以来、北海道には渡ってないそうです。
北海道の今を、沢山話してあげました。
オジーチャンは、体格も、姿勢も、話し方も、考え方もとても88歳とは思えない元気な方でした。
2時間以上の裸の付き合いが出来ました、私も高齢の身ですが、参考に成る考え方が沢山有りました。
まだゆっくりするそうで、先に失礼、 少し湯当たり気味!! オジーチャンありがとう。
湯沢市、雄勝。紹介します。
小野小町伝説の地ですね。 平安時代の美人な歌人、13歳で都にのぼり、20年ほど
宮中に支えたのですね。 大きな看板が有りました。

故郷恋しさに36歳の時、小野の里に帰郷、92歳で世を去ったそうです。
道の駅近くに二つ森。 手前が男森、奥が女森。
男森は深草少将の墓、女森は小町の墓です。 深草少将は小町を追ってこの地に来たのですね。
近くには『御返事』と言う地名が有りました、深草少将が恋文を送り、返事を待った所だそうで
地名にまで成ってます。

小町堂、小町を奉る御堂として昭和28年に建てられる。

桐木田の井戸。 小町の父小野良実の館の有った所。そばには、小町の産湯の井戸が有り
保存されてます、深そうな井戸でした。

小町の母の墓。 母は村長の娘。 小町が幼い頃亡くなってます。

☆ ☆ ☆
雄勝に入る前、観光した銀山温泉少し紹介しますね。
NHK 連続テレビ『おしん』の舞台で脚光をあび全国区となった温泉ですね。
温泉街入り口当たりです。

脇本長兵衛、古山閣のこて絵です、良く見てないと気づきませんよ。
今では、技術的に珍しいと思います。 2階、3階の壁に描かれてます。

3階の宝船です。 こて絵は左官職人の彫刻で、ここでは10枚ほど有ります。

銀山川の両岸に大正から昭和の建築、橋が10以上有ります。
開湯は銀山の工夫が川の中に、湧いてる温泉を発見したそうです。

この風景が一番大正ロマンを感じるでしょうか。
奥まで歩くと、滝、銀山坑道も見学できます。

日帰り入浴は3時まででした、宿泊客が入るからですね。
でも、汗流しだけなら共同浴場が有りました、温泉街の中間ぐらい、
無人ですが、300円入れる箱が有りました。 温度は高い草津並み、自分で調節ですね。

北海道で仕事の経験、北海道からの旅人、出会い有るものですね。
今日は、オジーチャン人生の味の有る話が聞けました。
私も、オジーチャンですが!!!
歌。 『花笠踊り、銀山温泉 後半の笠の早回し見事です。
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- 2014/04/04(金) 11:54:04|
- 秋田
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