オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
旅で出会った人達を思い出し、自分の備忘録として残して置きたいと思います。
何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。
☆ ☆ ☆
平成25年6月2日 瑞浪市、竜吟峡の白髪オジーチャン、時間を忘れる出会いでした。
中山道歩きの旅、細久手宿〜大湫宿。竜吟峡は思い出多い場所、出会いと成りました。
大湫宿、コミュニテーセンターで、近くの竜吟峡も歩く事を勧められる、七つの滝が有る。
大湫宿から、更に山道に入る。 カーナビ案内ですから安心して進む。

その内、登山道を思わせる坂道を、進めと案内。
数軒の民家が有り、広場に到着、カーナビは目的地到着の案内をしてる。
これが、思い出のオジーチャンとの出会いの切っ掛けでした。広場で車の掃除中でした。
竜吟峡に行けますかと聞いてみる。あの道がそうだが止めときなさいとの言葉。
細い獣道らしき遊歩道が有る、マムシは出るし、道も悪い。
中山道の歴史に詳しく、興味の尽きない話が続く。
若い頃、旅好きで車が持てるように成ってから、全国を回ったが、北海道だけは行けなかった
と、残念がってる。
旅ブログを書いてます、記念に写真撮らせてもらう。
『竜吟峡の仙人ジーチャン』じゃー、使いなさい。

細久手、大湫宿の昔話、気がつくと2時間程に成ってました。 楽しかった。
カーナビ、よくぞここを案内してくれたと、感謝ですね。
竜吟峡は、来た道を戻り、国道19号を右に行くとドラゴンが目印との事。
近くでした、駐車場が用意されて居り、カーナビは本来ここを案内すべき。
歩き出す、左に見える丸いのが、ドラゴンで、通過するとセンサーが働き突然、恐竜の大声。
ジーチャンが、ドラゴンと言った意味がようやく分かる。

第一の滝です。 第二、第三、えびす、あんま、昇竜、弁天、の七つの滝が有ります。
滝、探索気分では無理ですよ、登山です。
奥には、竜吟ダム。 滝は逆川(さかしま)に有り、土岐川の支流ですね。

竜吟峡のオジーチャンの話を参考に細久手宿、大湫宿少し紹介します。
西側の宿場を見てきましたが、江戸の都に向かい、細久手宿から、険しい山道に成ります。
細久手宿は、中山道48番目の宿場、慶長15年に新設され、尾張藩領でした。
大湫宿が慶長9年に設けられたが、御獄間は4里半もあり、中間の地として細久手宿が出来たそうです。
経営的には苦しい宿場で、尾張藩の援助が有った、これが、今に残る『大黒屋』
だそうです。

細久手宿の当たりは、田舎の集落、気持ち良く通り過ぎてしまう、今考えれば残念な思い。
細い山道を、大湫宿に向かい進むと、峠の頂上に出る。
『奥之田一里塚』の標識。
現存する、一里塚としては貴重な所、ここに一里塚が有りましたは見て来ましたが。
一里塚(3,927㎞) は、街道の両側に小高い山を作り、松等を植え遠くからでも目標に
出来たのですね。 左に太い松が見えます。

少し進むと、弁財天の池、 旅人の癒しに成ったでしょうね。

ハスの花も見せてくれました。

大湫宿到着です。手前に駐車スペースが有りました。
その場所が安藤広重の『木曽街道六十九次』で描いた場所でした。
大湫宿は、大久手宿とも表現してたそうです。

大湫宿は、東に『十三峠』西に『琵琶峠』を控えた、のどかな山間の集落でした。
細久手もそうですが、観光地化されてない所が、他の宿場との大きな違いかも知れません。
昔のままの面影を残してます。

江戸時代後期の頑丈な古い建物が見られます。
雪が多く、若者は都会へ、現在60戸程の小さな集落だそうです。

神明神社の大杉、樹齢1200年、樹高60㍍。

宿場を過ぎ、集落を見渡せる高台に来ました。

道標が有りました。ここから先は車は通れません、本当の歩きの中山道めぐりに成りますね。
先は『十三峠』に向かいます。

ゆったりした、気分の中山道歩きでした、私の好きな田舎風景そんな場所でした。
竜吟峡の、オジーチャン歴史の話、思い出話ありがとう。
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- 2014/03/21(金) 11:40:56|
- 岐阜
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