オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
旅で出会った人達を思い出し、自分の備忘録として残して置きたいと思います。
何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。
☆ ☆ ☆
平成25年6月1日 中山道、垂井宿に入る。役場職員から歴史、宿場の説明。
垂井宿の見所は、集落の外に有った。職員の説明受けなければ、見落としでしたね。
中山道、宿場歩きをしながら、北上、垂井宿に入る。
今まで、歩いて来た宿場と少し違う、中山道宿場が見つからない。(車で通ってたのですが)
垂井町役場で情報を得る事に、イケメンの青年職員、語りに情熱を感じる方。
垂井宿場は、歴史の建築物と、近代化した商店街と混在してるそうです。
それで、気づきにくかったのですね。他の宿場より、古い歴史が観光資産に成るのに
気づくのが、遅かったのでしょうか。
職員は、江戸時代の建築物が取り壊される空気の時、住民の文化遺産保存の運動が起き
何箇所が、保存されてるので歩いて下さい、地図を前に熱く説明、熱いものを感じました。
垂井宿は、東に歩いて下さいとの、アドバイスも、その理由は後で分かりました。
車駐車は、役場を使って下さいの言葉、可能スペースまで案内まで、感謝です。
言葉に甘え、垂井宿を歩く事に。
役場から、近くに垂井宿は有りました。
青年の言葉の通り、江戸と近代の混在した、商店街風景です。

旅籠屋、長浜屋です。築200年以上ですよ。
取り壊し、寸前まで成ったそうです。運動で残った、よかったですね。

歴史有る、建物。 宿場通りには、まだ、宿場風景を感じる物有りましたよ。
他の宿場との、違いは商店と混在ですから交通量が多いですね。

役場職員、勧めの東方面に向かいました。
垂井宿は、57番目の宿場で、315軒の商工業で賑わってたそうです。
相川です、相川人足渡跡ですね。 暴れ川だったそうです。 今はそんな川に見えませんね。
川越人夫は垂井宿の百姓、 水量で渡賃が決められたそうですよ。 体重は???

相川を渡ると、中山道を思わせる風景が残ってる。
安藤広重の『垂井宿』の描かれた所でしょうかね。

垂井追分道標です。
中山道と美濃路の大切な分岐点ですね。宝永6年建立と有りました。
『是より右東海道大垣路
左木曽海道たにぐみみち』
中山道道標で七番目に古いそうですよ。

中山道〜美濃路の分岐標識ここにも。

お休み処です、先の旅を考え、ダンゴ、茶で元気つけたのでしょうね。

東方面、気持ち良い散歩に成りました。垂井宿は東方面お勧めですね。
町役場、近くに泉湧く大ケヤキが有る事も、役場職員から聞いてました。
幹まわり8㍍、名水湧く泉で涼しさを感じる場所でした。垂井には何箇所か有るそうです。
右側に幹だけしか、見えません。

役場職員の熱意には、意味が有りましたね。時間掛かりましたが、歩いて良かった。
通りすごしていたかも知れません。
歌 木曽路の女 水森かおり
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- 2014/03/19(水) 10:58:05|
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