オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
旅で出合った人達を思い出し、自分の備忘録として日記風に残して置きたいと思います。
何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。
☆ ☆ ☆
大晦日ですね、昭和20年台子供の頃の師走を思い出します。
旭川近郊の田舎に、住んでました。水田農家でお正月は親も、子供も大イベントでしたね。
住宅の北側には、北風防止に3㍍ぐらいの高さに冬囲い、今は住宅環境が変わり必要無く成りましたね。
12月30日頃には、一日中餅つき、大きな箱一杯の餅、3月頃までのオヤツに成りましたよ。
農家ですから、米だけは豊富ですね。板餅、あん餅、豆餅、よもぎ餅と豊富でしたね。
肉など、めったに食卓に乗らない時代、お正月だけは塊肉が用意されてました。
今は、物、情報が有り過ぎて何が楽しみな事か、何を求めたら良いのか迷いの時代ですね。
大晦日つい昔を思い出してしまいました。
平成14年4月24日。 静岡県、新居関跡で教育委員会事務局長さんの親切な配慮。
富士川楽座から南下新居関に寄った時の思い出です。
日本パークウエイを通り、日本平へ、ここからの富士山、海、茶畑のコントラストの素晴らしさは今でも
記憶に残ってますね。
新居関に着いたのは昼頃でした。国指定特別史跡として指定された設備です。
箱根の関所は山の関なら、ここ新居関は海の関として共に当時の幕府の政策維持には重要な関所だった
所ですね。
楽しみにしてたのですが、休館日でした。そこへ車が2~3台来る。
事情を察したのでしょう、『北海道から有り難うございます、ご案内します』の考えもしない言葉。
教育委員会の事務局長さんの一行と分かり、お世話に成る事にしました。
独り占めの見学、詳しく説明をいただきました。
昨年も二度目の訪問をしましたが、その時の写真紹介しますね。

当時のメモを紹介します。
新居関は徳川家康によって設けられ、箱根関所は1618年の設置ですが、新居関はこれより約20年先行しており
家康が新居関を特に重要視してたそうです。
場所柄3度の地震津波で移転を繰り返し、苦労も多かった関所で57人で運営されてたそうですよ。
関所風景です。

『入鉄砲と出女』を通行手形で厳しく取り締まってたそうで、主要街道の関所建物としては、現在ある
唯一の建物で正式名は今切関所だそうですが関係は忘れてしまいました。
場所です。
他県のナンバーで気づいてくれたのでしょうが、教育委員会の皆さん本当に有り難う御座いました
楽しい思い出の場所と成りました。昨年二度目の訪問して来ましたよ。
平成14年の旅では、新居関から道の駅田原めっくんはうすで車中泊。
歌は田原市、渥美半島先端の伊良湖岬。 水森かおり。
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- 2013/12/31(火) 11:21:06|
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