晩秋の旧道庁前公園を歩いた時、資料館に寄り新発見が有りました。
本州の宿場町に相当する、仕組みが北海道にも有り、
旧奥行臼駅逓所と、
簾舞通行屋を見学しました。
資料によると、北海道には10ヵ所残されて居り、建物も保存されてるのは6ヵ所有る事が分かりました。
歴史を大切にしてる市町村が有りましたね。近くでは旧島松駅逓所が有りました。
札幌と千歳のほぼ中間地点です、札幌から千歳、苫小牧、函館方面の移動には必要な場所だったのでしょうね。
北広島市役所に電話すると、閉館したが外部は見学出来るそうで行ってきましたよ。
国道36号線で千歳方面に向かい、島松集落に有りましたが交通量の多い国道で看板が有りますが
見落としやすいです、国道から沢に入ります。
島松駅逓所の石碑が立ってます。

島松駅逓所は明治6年札幌本道(現在の国道36号線)の開通に伴い設置されたそうです。
回りは小高い丘に囲まれた、小さな盆地のような所でした。

駅逓所前の小道には大きな記念碑が。

旧島松駅逓所全景です。残念ながら閉館で内部を見学出来ませんが保存状態は非常に良いです。
現在の国道36号が出来る前までは、この駅逓所前は今では考えられない交通量だったそうです。

説明板が有りました、拡大しましたから読めると良いですが。

裏は公園のように整備されており、古い記念の碑が。

明治14年には明治天皇本道の巡幸の際の行在所ともなり、昭和59年国史跡に指定されてます。

裏の公園から見た駅逓所です、当時の駅逓所の建築物としては道内最古だそうです。

井戸です。

御前水の碑。

池から。建物右側に碑などが立つ公園に成ってます。

裏庭。

この駅逓所は中山久蔵が3代目取り扱い人となり、それ以降廃止されるまで一族に寄って業務が行われ
たそうです。
中山久蔵は北広島が原野だった頃、島松沢に入植し当時は米作りが不可能とされた米作りにチャレンジ
し、明治6年の秋には反当たり345㎏の米を収穫し『赤毛種』と呼ばれる寒冷地用の種もみを開拓農民に
無償で配布したそうです。当時は温暖な道南でわずかに米作りが有っただけだそうです。
北限の米作りの恩人中山久蔵記念の碑です。 『寒地稲作この地に始まる』

稲作研究の地が保存されてました、これは水温を上げるため水田に入る前に水路を流したと想像します。
私も子供の頃一枚目の田は水温が低くほとんど稔りが無いのを見てました。今は品種改良されそんな事は目
にしませんね。

収穫された水田です、来館者用に現在も中山久蔵に感謝しながら作ってるのでしょうね。

中山久蔵の碑です。

水田から駅逓所です。夏は蓮の花で奇麗でしょうね。

驚きでした、ここにはクラーク博士の足跡も有りました。
クラーク博士が北海道大学から帰国の途中旧島松駅逓所に立ち寄り、学生と最後のお別れをした地でした。
この地で学生に『青年よ大志をいだけ』と言う名言の舞台だったのです。 クラーク記念の碑。

この言葉に新説も有りましたよ、『青年よこの老人のように大志をいだけ』老人の言葉が入る。
島松駅逓所に滞在し、中山久蔵に逢う。寒冷地稲作に努力する姿を見て中山さんのように努力しなさい
と言ったのではないかと言う説です。 説明板が有りました。

クラーク博士は北海道畜産の指導、中山久蔵は寒冷地稲作に努力され現在の北海道の基礎と成った
功労者ですね。
それがこの旧島松駅逓所で一緒に成ってるとは驚きでした。
場所です。上が札幌下が千歳に成ります。
写真は晩秋のセピア色ですね、来年開館の新緑の季節に訪問したいと思います。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。

- 2013/11/25(月) 11:34:51|
- 駅逓所
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3