恵山、恵風ホテルで日帰り入浴(500円)し函館市に入る。
函館フェリーターミナル駐車場で車中泊しました。
第一と第二の駐車場が有り、第二の方が一泊500円です、トイレは24時間ターミナル
で開放です。一度入ると出庫で料金必要です、確認して入りましょう。(第一は800円)
恵風ホテルから見える恵山です(618㍍) 登山も考えました中止です。
高度は有りませんがドライブで見えた所では、険しそうでしたよ。

夕食は函館市内の回転寿司、函太郎、札幌で良く利用する回転寿司とは違い
高級感の有る寿司屋さんでした、料金も。

店内を撮らせて貰いました。

フェリーターミナル前です、男女外人の自伝車旅人でしたよ。

ターミナルでブラブラして戻るとバイク一団も。
今日の新聞記事では、千歳空港外人の利用が昨年の1,5倍で国内観光も本州の猛暑
で北海道に向かってる報道がされてました。
ブログでも何回か書きましたが本当に今年は観光地、人が多いですよ。
リーマンショック以降改善されてきたのでしょうね。

厚沢部行き国道の函館市近くに函館戦争二股口の戦い跡が有る事を知り
行って来ました。(大野町、現在は北斗市)
見つかりましたが、細い山道と奥行きの距離が不明でこの日は時間が無く諦めました。
次の機会とします。
明治元年(1868)榎本武揚率いる艦隊は鷲ノ木に上陸し新政府に勝利五稜郭に
拠点を置きました。奪回をめざ新政府軍は江差方面から上陸し江差山道を通過するのは十分想定された。
従って榎本軍はここ下二股川の崖をはさんで反抗を防ぐ作戦に出たのです。
新政府軍は予想道り乙部、江差から上陸した約600人が山道を通りました。
榎本軍は土方を隊長とし約300人で台場山で砲台を築き戦闘となるが、新政府軍は押し返される。
しかし、海岸線矢不来の戦いで榎本軍が敗れたため、土方隊は陣地を放棄して五稜郭
方面へ退却しました。
最後は函館戦争で土方は戦死し新しい明治の時代に入るのですが、ここ二股口に立って見て
こんな山奥の戦いをどうして予想出来たのか不思議な気持ちに成りました。

檜山道立公園の海岸に入りました。

鉄のモニュメントが、寛政7年(1795)この地の漁師重兵衛が小舟でコンブ漁に
出漁中、遭難し中国吉林省まで漂流し、二年後苦難の帰村望郷の念を表した作品だそうです。

そこから見えた小さな漁港です。

反対側の海岸奇麗ですね。

どこに行っても伝説、物語がありますね。函館戦争は現実の歴史ですが。
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- 2013/08/14(水) 09:33:02|
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