国道5号線を南下、久し振りに278号線に入った。
駒ヶ岳の麓を噴火湾沿いに走る国道で、この道は20年ぶりくらいのドライブに成ります。
道の駅砂原で車中泊、新しい発見が有りましたよ。
5号線の落部(おとしべ)当たりの小さな港で休憩してると霧の中だった
駒ヶ岳が姿を出してくれた。その昔噴火により現在の大沼公園を作った活発な活火山ですよ。

278号線に入りすぐの牧場にサラブレッの馬が放牧されてました。
奥の霧の山は駒ヶ岳になります。

競走馬の牧場は浦河を初め日高地方に多いのですが、駒ヶ岳の麓にも有ったのですね。
私には馬の思い出が有ります、紹介しますね。
私の実家は農家で昔は必ず一頭の馬を飼ってましたよ、昔の農業には必要でした。
私が中学くらいの時父親が馬に乗せる経験をさせようとし乗って見ました。
馬はどうしたと思いますか、乗った私を長い首で振り返りいくら進めの合図を出しても
歩こうとしませんでしたよ、飼い主でないと判断されたのでしょうね。それくらい利口な動物ですよ。
実家の隣にF さんと言う農家が有りました、F さんはある日馬ソリで約8㎞程の旭川市内まで
出かけたそうです、大の酒好きで用事をすまし馬のタズナを電信柱にしばり居酒屋で一杯。
夜中に店を出た時には馬が居なかったそうです。しかたなく歩いて帰宅。
どうだったと思いますか、馬は馬ソリを引いて先に帰ってたそうです。
町の中から田舎道まで道を知ってたのですね。
二つの話共、60年以上前の話でした。 駒ヶ岳の牧場で思い出しながらのドライブでした。

砂原町近くの港を探索してると大きなヒラメが、美味しそう。

道の駅砂原でこの地方に江戸時代の蝦夷地(現在の北海道)警備跡が有ると知り歩いて見ました。
有りました、東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡(国指定史跡)です。

石碑の字も風化してましたが、砂原南部藩屯所跡と読めました。
幕府は安政2年4月(1855)仙台、秋田、南部、津軽、松前の5藩に蝦夷地警備の分担を命じた
南部藩は函館出崎の警備を主として、恵山岬から東蝦夷地幌別まで一帯の海岸を持ち場として
函館谷地頭の北方に元陣屋を置き、砂原分屯所は安政3年には兵隊約50名と、駒ヶ岳麓に見張り所
も置いたそうです。この小さな集落にそんな歴史が有ったとは道産子の私も知りませんでした。

石碑と土塁です。砂原分屯所は66㍍×60㍍の敷地に高さ3㍍の土塁で築かれてました。
土塁は今も保存されてましたよ。

分屯所は明治元年(1868)家屋を壊して引き揚げたそうです。
今日の歩きは、又、少し北海道の歴史に触れる新発見でした。
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- 2013/08/09(金) 09:20:42|
- 北海道
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