資料によると、ここの森林伐採事業は江戸時代から続いていたが、明治時代に需要が高まり
事業が拡大していき、当初はいかだに組んで川に流していたが、明治後期になり森林鉄道が整備されたようです。
ここ皆瀬川トロッコは、昭和40年運行され、約8㎞の距離だったそうです。
現在は山菜、渓流釣り、森林浴として親しまれてるようです。
雨上がりの湿度の高い日でしたが歩いて来ましたよ、V 字渓谷、岩盤の露頭、ブナ林など線路跡だけに
急な傾斜はなく、気持ちよく歩く事ができましたよ。
雨上がり、朝つゆが葉の上に。

朝つゆの花奇麗でしたよ。

人面岩ですよ。分かるでしょうか。ほぼ中心です。

露頭の岩盤に石像が、かわいい表情でした。

こんな厳しい渓谷にトロッコを、大変だったと思います。それだけ林業が盛んだったのですね。

この道は何となくトロッコ道の感じしますね。

線路保護の痕跡がありましたよ、路肩保護ですね。

こんな急カーブの川も渡ったのでしょうね。

急流ですが、大きな岩で川を守ってるように見えませんか。

木の間から渓谷です、この当たりが猿飛峡なのですが下り口が分かりませんでした。
V 字が近く、猿が飛び越えて渡るそうですよ。

線路道です。

巨木が風雪に負けたのでしょうか。

台風では、暴れ川が想像できますね。

川を渡る線路跡ですよ、腐食で危険渡るなと。

横から、約3時間の線路跡の散歩でした、国道に戻ると奥小安の大湯温泉が有ります。
トロッコ道入り口の看板も無く私はここ、大湯温泉で話を聞きました。

厳美渓に向かう342号線から見た栗駒山です。
しかし、平成20年6月14日岩手宮城内陸地震で大きな被害を受けた所なのです。
峠の須川から真湯間約15㎞は道路が完全に消失した、大規模崩落四ヵ所を含む8、4㎞が大きな
被害を受けたのです。
峠を下りると展望台が有りました。
大きな鉄の橋が崩落してる姿が有りました、自然の脅威に常に感心を持ち生活しなさい
との、忠告に見えました。

ぶなの恵みの水美味しかったですよ。

そこに、復興之碑
東北太平洋側にも、早くこのような復興之碑が建つことを祈ります。

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- 2013/06/20(木) 07:09:19|
- 秋田
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