新潟市を通過し北上すると、日本海に面した所に出雲崎町は有りました。
新潟県のほぼ中央の日本海に面し約10㎞の海岸線を持つ町でしたよ。
紙風船の生産量は日本一、良寛生誕地で、江戸時代には天領地として佐渡の金、銀の
荷揚げ場として栄えたそうです。驚いた事は近代石油産業発祥の地だったのですね。
道の駅に車を置かさせてもらい歩きました。
急な階段を上がると諏訪大社が、参拝してきましたよ。

近くに、日本海の厳しい冬風に耐えた木が目に入りました。

出雲崎の『妻入りの街並』は江戸時代、出雲崎は徳川幕府の天領となり、佐渡の金銀陸揚げ港として、
また、北前船の発着港として栄えたのですね。
北国街道の宿場町としても栄えたそうです、当時の妻入りの街並みを保存し見て貰う取り組みも
してましたよ、資料館が有り、お年寄りがボランテアで説明をしてくれましたね。

驚いたのは、ここが日本の石油発祥の地でした、新潟県に古くから有ることは知ってましたが
内陸だと思ってましたね。
網堀式石油井戸Cー2号で、宝田石油会社が掘削し、明治30年より昭和60年まで使用された井戸です。
深さは649㍍で、近くにまだ2本有るそうです。

くみ上げポンプです。

代官所跡です。
元和2年(1616年)に徳川幕府はここに代官所を幕府直轄地としたのです。
佐渡の金、銀と関係あるのでしょうか。

石碑が建ってました。

歩いてると、遠くからトーフの笛の音、リヤカーでなく、車でした。

山側に歩いて行くと、良寛さんの石碑が、
『良寛禅師剃髪之寺』と有りました。

良寛さんも歩いたでしょう、参道です。

光照寺です。
良寛は安永4年(1775年)18歳で光照寺に入り22歳まで、この寺で禅の修行にはげんだのです。

本殿です、撮らせていただきました。
芭蕉も訪れ『荒波や佐渡によこたふ天河』の名句を残し、十坂舎一九、吉田松陰などの数多くの
文人の訪問が有ったそうです。

高い所からの出雲崎集落です。

奇麗に選定された松についカメラが

南北に約3、8㎞の集落です。

説明を受けた資料館です、ボランテアで詰めてるそうです、ご苦労さんですね。

のんびりした気分で歩くことが出来ました。

故郷は何処にでもありますね。
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- 2013/06/13(木) 08:34:10|
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