琵琶湖の草津の、当たりから私にとり念願だった中山道歩きも奈良井宿で終わりと思ってます。
ブログ投稿した所、歩いただけの所有りましたが、江戸に進むにしたがい川の渓相も、山道も
厳しくなり、特に鳥居峠を目指す当たりの、細久手、大湫、馬籠、妻籠、奈良井宿当たりでは、歩く交通
手段としては考えられない所でした。
それがあるから、宿場では、馬屋、籠、川渡し、荷物の引き継ぎ等で宿場は栄えたのでしょうね。
次の、宿場までたどり着けない人どうしたんだろう何て、バカな事考えながら歩いてました。
奈良井宿は難所、鳥居峠のふもとにあって、江戸時代には『奈良井千軒』と言われるほど栄えた宿場
だったのですね。戦国時代に武田氏の定めた宿場ですが、集落の成立はさらに古いと考えれてるそうです。
当然、重伝保存地域で、南北1㎞、東西200㍍指定です。南北両端に神社があり、ここも、上町、中町、下町
に分かれ、中山道最大の難所である、鳥居峠をひかえ、宿を取る旅人が多く賑わいを見せたのですね。
西の端から歩きました。宿場を守る様に鎮神社が有りました。上町です。
ここから、さらに西に向かえば難所の鳥居峠(1197㍍)に成るのですね。
真ん中の木は御神木です。

本殿、市有形文化財です。

上町から中町を。

水場です。当時はこれと形は違ったと思いますが、山からの豊富な沢水やわき水を利用して、中山道を
歩く旅人の喉を潤し、鳥居峠に向かったのが想像できますね。

上町に入りました。

神社方面に振り返ったところです。

上町風景です。何とも言えない気持ちで歩いてましたね。

中町に入るところで直角に曲がる。ここでも枡形ですね。

中町です。

上問屋資料館で、明治天皇奈良井宿行在所になった所です。

中町風景です。

中町から下町になりました。

徳利屋で、市有形文化財。

下町に入りました。道が細く成った気がします。
ここで、私は他の宿場と何か違うと思いながら歩いてました。
屋根の、ひさしが大きく出てるのですね。これが宿場のイメージを高めているように思います。

下町です。

創業寛政5年の杉の森蔵元です。

下町をワン子も散歩。

下町の最後の所です。

下町から小道を通り高い所に向かいました。

全景とは成りませんが、奈良井宿です。

帰りに下町最後の水場で、丸刈りの頭に水をたっぷりと。
江戸時代も4カ所ほど有ったそうですよ。顔、頭に水をかけた時、江戸の旅人の気持ちが少し分かった
ような気がしましたね。

毎日中山道のブログに成りましたが、田舎歩きと、中山道は私の夢でした。
老体で完璧な訪問とは、成ってないと思いますが、満足です。
もう少し若ければ、下諏訪、軽井沢ぐらいまでですよね。ここで、ガマンして気温の低下期待して
北上、日本海の方に移動したいと思ってます。
ブログランキング、バナー下です。クリックよろしくお願いします。

- 2013/06/10(月) 08:12:41|
- 長野
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0