中山道、木曽川宿の一つですが、美濃との境にあり、宿場は本当に急な坂道に有りました。
木曽川沿いを、車で走ると当然、山、坂の多い所ですが、昔この街道を歩いた事が想像を出来ない。
そんな街道です。馬籠宿自体が急な山道に沿った宿場ですが、旅人がたどり着いて、一番ほっとした
宿場ではないでしょうか、歩いてそんな感じを受けました。
急な坂道の両側に石を積んで家を立て、宿場の中央には本陣、脇本陣、問屋などがならべられたそんな
宿場の様子が、うかがえました。
宿場の一番高い所に有る、駐車場に車を止める。無料有り難い。
上陣場の高い所から見た、宿場風景です。
最初に見える家から急な坂道街道になりますね。

高札場です。どこの宿場でも見る事ができますね。

道標です。京五十二里半、江戸八十里半と有ります。
私は、沢山の道標を見て来ましたが、必ず、〜里半の半が付く? こんど調べたいと思います。

急な坂道の街道を東から西方面に向かって歩きます。

写真で、旅人の急な坂道の想像つきますでしょうか。

暑さと疲れが出たたころ、水路と花が癒してくれましたよ。

坂の風景が続きますよ。

馬籠脇本陣跡です、一度明治28年の大火で焼失したそうです。
現在資料館と成ってました。

本陣跡です。
現在は藤村記念館で、記念館は江戸時代藤村家の生家で、馬籠本陣、島崎家が立っていた
ゆかりの場所なのですね。

大分下がってきました。

木曽馬籠清水屋です。清水屋は島崎藤村の作品『嵐』に出て来る『森さん』(原一平)の家なのです。

本当に急な坂道です、私がもし来年きたら、歩けないかも、籠を手配ですね。

そんな所に大きな水車が。

水車小屋に入ると、何と水力発電でした。
宿場町に、近代文化の電気。時代の変化を気づかせるアイデアですね。
現在の発電量が出てました。急な坂道だから出来る事ですね。

私は下がりながらの、宿場めぐりでしたが、ようやく西の端に着きました。
逆の歩きの方は大変なところですよ。

やはり、ここでも枡形が有りました。
水車小屋のところの、急な坂道を90度曲げてでます、常に防御の事を考えた宿場作りをしたのですね。

宿場の防火水槽で金魚が泳いでましたよ、火災が無い証拠ですね。

可児市、きりら坂下道の駅に戻る時、涼しさを求め脇道の小高い風の通り良いところを求め
走ってると、落合石畳街道の看板が。歩いてきましたよ。
落合集落近くに約800㍍に渡り保存されてます。すばらしい。

その小高い所は棚田の、水田地帯でした。
通りかかったオジサンの話を聞くことが出来ました。江戸の時代からここで水田を耕作するため
この、高い所まで水を引く、工事に先代からずいぶん苦労が有って、稲穂が稔ように成ったと話して
くれました。

暑い一日でした、道産子だからそう思うのでしょか。
草履で、荷物を持った旅、旅とはいえ現在のように観光ではないでしょうが。
女性、子供、の旅人は居たのだろうかと思う毎日です。特に細久手、大湫、妻籠、馬籠宿。
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- 2013/06/07(金) 08:23:52|
- 岐阜
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