中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていたのですね。
江戸から数えて四十二番目で、伊那街道とも交叉する重要な宿場だったのです。
妻籠の人達は町並みを守るために、家や土地を売らない、貸さない、壊さないを中心とする
住民憲章をつくり、生活しながら江戸時代の貴重な財産を世に伝えている事を改めて知りました。
妻籠宿の看板が大きく目に入りました。

山間の傾斜地にはこのような、石組の土台から宿場は作られたのですね。

東より西に向かい歩き出しました。早朝でもあり、まだ、観光の人は少ないでしたね。

19世紀初頭の建物とありました。
本州の人には、懐かしい土間風景でしょうね。

のどかな時間です。

妻籠独り占めです。

脇本陣奥谷です。国重要文化財。
木曽檜をふんだんに用いて明治十年に建てられた。明治天皇の御小休所にも成ったそうです。
島崎藤村の初恋の相手『ゆふ』さんの嫁ぎ先でもあります。現在は歴史資料館です。

妻籠宿御本陣です。
左の建物が人馬会所(問屋場)宿場には、公用の旅人に人馬を提供するのが第一の仕事で
人馬会所には、問屋、年寄、帳付、馬指、人足指などの宿役人が勤務していた。
そこの、場所の通路は他より広く、宿場で最も華やかな所だったそうです。
現在だったら、市町村役場前でしょうね。

右の建物は相当古い建物だそうです。

馬屋です。馬2頭ぐらいしか入りませんよね。これで良かったのかな。
現在のハヤー会社かな。

西の出口近くまで歩きました。

のどかな風景ですね。

ここでも、枡形が見られました。街道を2度直角に曲げてます。

有形文化財。下嵯峨屋です。

枡形です。

宿場から離れ、小道の山道を登ってくと『ギンモクセイ』を見る事ができましたよ。
長野県天然記念物で、栽培した巨木で知られるのは全国で6本で、妻籠の木はもっとも東
の木だそうです。根元は径2㍍もあります。

高い所まで登って来ました。妻籠宿を上から見てます。

道ばたの花ですね。

帰り道に、飛脚に逢いましたよ。郵便局も工夫してますね。

妻籠宿は、保存、整備も行き届いてますが、住民の生活基盤である、仕事と上手く合致してるように
見えました。
ただ何処の、宿場もそうですが、街道に車が置いて有るのは工夫が必要に思いますね。
仕事用、個人用で宿場全体で考えてみたらどうでしょうか。写真を撮る時特に感じますね。
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- 2013/06/06(木) 07:16:24|
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