細久手宿を通過、細い山道に入る。車に合う事は少ないが徐行運転が続いた。
やがて大湫宿との、峠の頂上と思われる所に小高い山が、道の両側に二ツ見えました。
それは一里塚でしたよ。まわりは杉林。
1里塚には、榎や松が植えられ松並木も整備されたそうです。ここの1里塚は松でした。
現在はほとんど荒廃してるそうですが、当時のまま残っているのは、全国的にも稀のようです。
今までの、中山道めぐりでも、1里塚の標識は有りましたが本物は、初めて、当時この小高い丘の
杉の木を目指して、峠越えをしたのでしょうね。
小高い山です。中心に有る杉の木が左に見えます。

道の反対側に成ります。

一里塚の石碑が有りました。

峠より大湫宿に向かっていくと、弁財天の池が。

享和2年に、記された紀行に『左の方に小さな池あり、池の中に弁財天の宮あり』との記述があるそうで、
左との表現は、細久手宿から歩いて見た風景を指してるのですね。
ハスとアヤメですね。旅人に休息の場と成ったのは想像がつきますね。

ハスです。

大湫宿の少し手前に広場があり、木陰に成って居りここに車を置き歩こうとしました。
そこは、偶然にも安藤広重が木曽街道六十九次で描いた場所でした。

大洞小坂で広重描くの石碑です。大湫宿は、大久手とも書いたそうですよ。

歩き出しました。地元のオバサンが歩き方を教えてくれました。
分からなく成ったら、どこでも良いから聞きなさいと、親切な言葉。旅人には心強いです。
高札場が目につきました。今までと違う。高札が10枚展示。それには、定と覚がある。
意味分けは、分からない。いろいろお上の決め事が書いてありました。

通りに入りました。

当時のままの、建物です。壁は白壁。

神明神社です。

大木の杉。

かなり歩いて来ました。通りです。

本陣跡です。
大湫宿本陣は間口約40㍍、奥行き約27㍍、部屋数23という広大な建物で大名、高級武士たちの
宿舎でした。

大湫宿最後の場所まで上がって来ました。
これから先は、車では通行出来ず。歩くだけの中山道に成ります。

高い所から見た、大湫宿です。

街道の花が疲れを癒してくれました。

街道は車の交差が大変です。車は少ないですが。

今日は、1日感動でした。細久手から大湫宿が気持ち良かったのも有りますが。
何カ所かの、宿場を見学しましたが、それぞれの姿が有りました。どんな形でも、
江戸から京までの、中山道を感じて貰う取り組みは素晴らしいと思いました。
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- 2013/06/02(日) 07:39:32|
- 岐阜
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