東軍の将徳川家康と西軍の将石田三成が、この地で『天下分け目の戦い』
が、ここ関ヶ原の戦いなのですね。
権力を握りつつあった、徳川家康と石田三成をはじめとする、その反対勢力との対立を
武力によって、決着をつけ、その後250年も続く政権が誕生したのですね。
戦いは国と国の戦いが、現在も悲しいかな有りますね。
日本は400年前、いやそれ以前から国内で、命をかけた戦いの歴史が有るのですね。
現在に、置き換えると、都道府県の、権力をかけた戦いですね。
想像が付きません。
歴史民俗資料館で情報を得ました。
大将の指揮を取る姿でしょうか。

400年前、日本にも銃器の技術入ってたのですね。

大砲です。

西軍の陣地が多い方面に歩き出しました。

東軍大将徳川家康が、最後の陣地とした所です。

決戦地と成った所です。石田三成の陣地が有る笹尾山の下に成ります。
西軍小早川隊の、寝返りで西軍が不利な環境となり、三成の首を狙う東軍との決戦の場と成りました。

石田三成の陣地笹尾山に、登ります。

笹尾山頂上の西軍大将石田三成の陣地跡です。

笹尾山より、戦いの場と成った所を眺めてます。
写真では、左に見える山が南宮山ですが、その懐に桃配山が有り、家康は最初の陣をそこに取ってます。
家康と三成は、距離にして2〜3㎞の所で対峙してたのですね。

笹尾山からの、帰り道です。関ヶ原町の風景になります。
垣根と庭が手入れされた、住宅が続きます。

西軍島津義弘の陣地です。
島津隊は鉄砲が得意で活躍しますが。小早川隊の寝返りを、知ると西軍不利と判断、東軍の中央
を、突破して見事伊勢街道に脱出に成功したそうです。

首塚です。家康は西軍の首領の首を実検し、後から反抗の機会を無くそうとしたのですね。

首洗い井戸です。戦死者を、家康は東軍、西軍に差を付ける事なく、埋葬する事を命じたそうです。

近くで、町民の方がパークゴルフを楽しんでました。
チーム分けどうするんでしょう、ここでは、東軍が勝利することに成ってますから。
心配になります!!

総勢15万の兵士と言われてます。
この、歴史が有って現在の日本が有るのですね。
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- 2013/05/20(月) 06:39:58|
- 岐阜
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