大友亀太郎は、幕末幕府の命を受け北海道開拓に。
最初は、函館地方の農地開拓に貢献、その後札幌に。
旧札幌村(元村)、現在の北区元町に役宅をかまえた。
当然、農業用地開拓と生活には水路が必要である。
現在の中島公園近くの、豊平川より分水、市の中心を流れ
元村までの水路を確保した、それが大友堀と言われている。(現在は創成川)
改修前の、創成橋近くに貢献を記念して、大友亀太郎像と橋の記念の品が残されている。
大友亀太郎役宅があった、元町には現在札幌郷土資料館が建っています。
改修前の創成橋。竣工は明治4年。
平成22年に改修され、現在はありません
両サイドに、擬宝珠(ギボシ)が分かります。
※ 擬宝珠は伝統的な建築物の装飾、橋、神社、寺院の手すり。
欄干に設られる飾り。

現在の創成川。
中島公園駅近くで、市民が鴨鴨川と呼ぶ所もあります。

二条市場近くに、大友亀太郎像。
右端に旧欄干が残されてます。ひらがなで『そうせいばし』とある。
擬宝珠も分かります。

説明碑です。

伊勢神宮の宇治橋。
鳥居の向こうに、宇治橋。左にはおかげ横丁(2012年の記録)

宇治橋の擬宝珠、川は五十鈴川。
擬宝珠の一つがピカ、ピカ。この擬宝珠に触れると又参拝できるとの事。
自分も触れましたが、三回参拝する機会がありました。
創成橋にあった擬宝珠、宇治橋と形がいっしょ。

大友亀太郎像からの帰り、近くに明治期の薬局に出会う。
明治34年建築、土蔵造りの漢方薬、秋野総本店である。

さっぽろ・ふるさと文化百選指定建物。
札幌中心部で、明治の香りを見る事ができました。

大友亀太郎は、20歳代に二宮金次郎に師事したことがあるそう。
明治初期まだ森の多い札幌、重機の無い大友堀大変な工事だった事が
想像できます。
現在の創成川の両サイドは、重要な交通網となっている。
- 2020/08/30(日) 08:18:58|
- 札幌
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0