新型コロナウイルス拡大で休業中の記録。
5月25日〜31日まで午後7時〜22時までホテル上階をライトアップ。
『北海道地図』と『ニコニコマーク』で北海道民、札幌市民に元気合図。
休業中の上階の南、北部屋を利用、マークは1日おきに交替。
JRタワーホテルです、昼の写真。
JR札幌駅と直結されてます。

札幌駅南口。

この日は南口がニコニコマーク。

自粛生活が長引く中、北海道民頑張りましょう。

札幌駅北口。
地下駐車場入り口があります。

北海道マークで元気を。
特に北海道、東京、九州がコロナ対策で大変な時期。

コロナに負けるな北海道。

経済活動も対策、業種により休業とありました。
早いワクチンの開発が望まれます。
少しでも経済活動に参加しょうとするが、楽しめない。
- 2020/07/29(水) 07:42:11|
- 札幌
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札幌市役所は昭和40年閉校の中央創成小学校跡地。
地下1階地上19階で昭和46年完成(札幌オリンピック前年)
庭園は大道公園北側に面してるが分かりづらい。
それは、市役所地下食堂からの鑑賞をメインと考えてるから。
近くの市民ホール前には、札幌景観資産に指定の樹齢約300年のハルニレ。
この場所には豊平館があった、現在は中島公園に移設されている。
札幌市役所全景、正面玄関側。
庭園は裏側になります。

中央創成小学校跡、記念碑。

校歌、明治12年4月20日制定とある。一番だけですが。
1、 菊のかおりの いや高く
学びの柱つき立てし
その年月を かぞうれば
明治4年の十月

記念碑横の通路を行くと庭園です。
テレビ塔が目の前、岩の所から水が流れますが今日は止まってます。
小さな池に鴨が来ることも。

花はリュウキュウツツジ。

近くの樹齢約300年のハルニレ。
札幌開拓期以前からの光景を見て来ましたネ。

創設当時この場所にあった豊平館。
現在は立派に化粧直しして中島公園に移設。
バックには樹木が見られます、開拓期の札幌の姿。

いつも、なにげなく歩いている所に歴史があります。
この庭園の記念碑もそうでした。
札幌も気温急上昇、高齢者には体調整えるのが大変。
もう少し優しくお願いしたい!!!(笑)
- 2020/07/22(水) 08:11:46|
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コロナ対策で3密をさけるため、古い記録を投稿中。
今回は昨年の、西禮子氏の個展を紹介します。
西氏は福岡出身で千葉に在住。
染色家、日本刺繍作家の母親の影響で、小さい頃から絵が好きだったそう。
高校時代の美術部の先生の影響で油絵をめざす。
二紀展同人賞多数、1988年より日本各地で個展。
2014年ニューヨーク チエリシーで個展と活躍の巾が広がる。
数ある作品の中から何点か紹介します。
撮影許可ok
西禮子展。

西禮子 二紀展。
二紀展案内は国立新美術館の案内になってます。

会場です、実に落ち着いた雰囲気でした。

自分には絵画の評価をする知識はありません。
しかし、独特な技法と鑑賞していて落ち着ける感じがした。

白い朝。

紅い壁。

何処へ。

西氏は二紀会のベテラン会員だそうです。
抽象的表現ですが『ここにこの色のこのカタチがあることが大切』
の考えで描いてるそうです。
- 2020/07/15(水) 08:04:50|
- 美術
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浜益には古い歴史があった。
そこは小高い丘の上、現在は訪れる人も無く雑草の中。
安政6年(1859年)幕府は日本海北方警備を荘内藩に命じた。
荘内藩は警備、開拓の本陣を浜益に置いた、ロシアの南下を警戒した対策。
陣屋には奉行所、寺、長屋などの集落が作られ、200人余りの藩士が生活してたようです。
現在は国の史跡として指定された。
千本ナラの山頂より浜益地区を望む。

浜益川のほとりに村社八幡神社。

参拝。

荘内藩陣屋跡はこの辺りと調べて来たが分からない。
近くの方に聞くと、神社鳥居下を右に向かい上がるよう。
あった、大手門跡。

説明板です。

大手門から集落。

集落奥の山が千本ナラのあった所。

浜益川より物資輸送のため陣屋に向け水路を掘る。
物資は舟で日本海から、水路が残されてるのは嬉しいですね。
この水路建設にあまりにも多額の費用が掛かり、千両堀とも。

荘内藩陣屋跡図面がありました、分かりづらいですが。
右の方に浜益川(黄金川)、千両堀がかすかに分かります。
陣内には、奉行所、人夫長屋、足軽長屋、武器庫,などが分かります。

浜益地区のあまり知られて無い、歴史を知りました。
荘内藩は正式には鶴岡藩なのですね。
戊辰戦争で新政府となりわずか7年の領地と政治でした。
- 2020/07/08(水) 08:05:39|
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6月24日投稿、千本ナラよりさらに231号線を北上。
石狩市浜益集落に出る。
集落の中を浜益川が流れ日本海にそそぐ所。
20年ほど前上流でヤマメが釣れよく来た川で懐かしい。
山菜も豊富で、フキ、ウド、アイヌネギなどでも良く来た。
そんな集落の海岸沿いに、はまます郷土資料館があった。
内容は充実、浜益の旧家から展示物の提供があったと想像させる多さ。
案内板です。

資料館です、中に入ると意外に広い。

別角度から、遠くに見える山が千本ナラの山麓。
見学者者が来たようです。

入口、歴史が出てます。
一時放置された時期があったそうです、鰊番屋を資料館とする考えが出た。

入って右側が親方の居間。

左側にやん衆の溜まり場。

やん衆の寝床、かべ側に上、下2段。

中村漁場の定が書かれてます。現代の役職でしょうか。

山岡鉄舟の書『茂生学校』
勝海舟と西郷隆盛の会談を斡旋、江戸開城に尽力。
この鰊番屋との関係?

珍しい電話。

大正初期、鰊沖揚げモッコ背負って。
家族総動員だったでしょうね。

大正12年群別の浜、ウインチが使われだす。

鰊漁場の仕掛け、今のサケ仕掛けと似てます。

明治、大正、昭和の香りいっぱい。
展示物多くもう一度ゆっくり見学したい気持ち。
鰊は昭和初期の頃は、各家庭でも箱で買った時代があった。
干したり、鰊とキャベツで漬け物を作ったりした。
ニシン粕の肥料もあった。
消えた時代があったが、最近回復傾向で店頭で見るように成りましたね。
- 2020/07/01(水) 07:54:44|
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