札幌駅北口から、歩いてすぐの所に札幌エルプラザがあります。
二階イベント会場で、道被爆者協会主催で原爆の記憶展があった。
二回に分かれて展示があり、一回目は被爆者原爆の絵が中心。
二回目は、ジョー・オダネル氏の写真中心(占領軍カメラマン)
被爆者絵画は、カラーであまりにも悲惨な場面。
現実だった事なのですが、投稿をためらいました。
現在は終了。
札幌駅北口から地下歩行空間でエルプラザへ。
南口歩行空間は、大勢の人。北口は利用者が居ない。

エルプラザ二階会場。

カラーの絵は苦しくなる、写真中心に。
広島原爆孤児、食べ物なく雪を食べてる。時には盗みもあったそう。
原爆ドームの前のようです。

長崎の爆心地から3,5㎞地点の『母と子』
その後元気に生活と思いたい。

『生きぬいて』 谷口すみてる氏。
長崎で被爆、奇跡的に助かり活動をしてる、右下写真。
終戦記念日などで、何度かテレビ出演で見かけました。

おどろきの世界の核弾頭数(2011年)

第二回目は、占領軍カメラマンジョーオダネル氏の記録。
最初は佐世保に入ったそうです。

敬礼・・・の大看板の前を進む占領軍。
我々を歓迎してる看板と勘違いしたそうです。

原爆投下後の悪臭に口を押さえる少女。
悪臭の原因は何か、想像できますね。

死んだ弟を背負い、火葬の順番を直立不動で立つ少年。
顔を強張らせ、頑張っている。 世界に発信された記録。

道路清掃する子供。ハダシの子がいる。
この時代は、よくお手伝いをした時代でしたね。

広島、空から見た協会のようです。爆心地から450㍍。
歩行者が一人いますね。

仮説病院で手当を受けた被爆者、薬は赤チンキだけだったそうです。
太陽から火傷を保護するため、服を重ね着してる。

子守りする子供。
我々の時代でも、農繁期に子供をオンブして学校にきた生徒がいました。

被爆地は車が使えず、馬で移動したそうです。

道内の被爆者健康手帳保持者は
271人、平均年齢82,3歳だそうです。
広島、長崎共原爆資料館見学しましたが言葉がありませんでした。
地球では民族紛争、宗教に関係した争いがありますね。
宗教の争いは長く終結が見えない。 悲しい事です。
- 2020/03/04(水) 07:29:15|
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