戊辰戦争、新政府軍に追い詰められ飯盛山へ。
白虎隊は総員343人、犠牲者は53人、生存者は290人とされてる。
その内、会津藩が組織した16~17歳の少年が飯盛山で鶴ヶ城落城と勘違いし
その場で自刃したのが19人、その中に飯沼貞吉がいた。
飯沼貞吉は、謹慎生活後、工部省に入省電信電話技師として勤務。
北海道には、明治38年札幌郵便局工務課長として赴任、5年余り勤務しています。
その時住んでいた寄宿舎があったのが、現在札幌第一ホテルのある場所である。
貞吉は、自刃で重傷であったところを、村民に助けられ九死に一生を得たのですね。
札幌第一ホテルです。 地下鉄南北線中島公園駅近く。

正面玄関。

正面玄関前敷地に『飯沼貞吉ゆかりの地』の碑。

会津藩白虎隊士とある。
会津松平家十三代、松平保定書。

飯沼貞吉です。晩年のようです。Wikipedia より。

札幌第一ホテル近くの川。
飯沼貞吉も眺めながら生活したかも知れません。

鶴ヶ城。 この後3枚の写真は、平成13年東北旅行の記録でピリント写真を
デジカメで接写したもので、画像が悪い。

白虎隊士の墓、飯盛山。
(レタッチあり)

飯盛山山麓、宇賀神堂。
白虎隊十九士霊神。

会津藩再興を願い北海道に集団移住した、旧会津藩士は多く
いたそうで、海峡を渡って開拓に貢献したことになります。
- 2020/01/29(水) 07:40:24|
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