札幌村郷土記念館の地は、幕末に大友亀太郎が開拓開始した所。
近くに大友亀太郎創建の妙見堂、札幌最古の本龍寺、札幌村神社があった。
残念な事に、先の地震被害で妙見堂、本龍寺は参拝、見学禁止でした。
現在、修復工事中で通路から参拝してきました。
早い完全な修復を祈ってます。
本龍寺。
札幌最古の寺院で、境内に妙見堂が創建されてました。
歩道から撮影。

北海道の寺院では珍しい山門、立派です。
地震の影響なかったのですね。

妙見堂。
慶応2年御手作場(官営農場、後の札幌村)を開墾した大友亀太郎が
開拓民とともに慶応4年に創建されてます。

妙見堂。
さっぽろ・ふるさと文化百選指定。

大友亀太郎の史蹟碑。

札幌村神社参拝。
鳥居の両側に狛犬、こわい顔。

社標。

参拝。
創立は明治32年、平成19年新社殿造営されてます。

札幌村神社が読めます。

境内の日露戦役忠魂碑。

札幌村郷土記念館、館長さんの説明で近くの
開拓歴史も知る事ができました。
郷土記念館の膨大は資料、もう一度訪問してゆっくり見学
したい気持ちですね。
関連記事。
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2018,11,14. 札幌村郷土記念館。 ・
2018,11, 21 玉ねぎ栽培発祥の地。 ・
2015, 5, 1. 冬の札幌村神社参拝。
- 2018/11/28(水) 07:58:53|
- 札幌
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11月14日ブログで、札幌村(旧元村)の開拓歴史と大友亀太郎
の貢献を書きました。
札幌村郷土記念館には、数多くの昔の農具が展示されてます。
自分にとっても懐かしい物ばかり、紹介します。
現札幌村郷土記念館の地に明治43年札幌村役場庁舎
が建設されてたそうです。
現在残ってれば文化財物ですね。

大友亀太郎開拓入植したこの地、我国玉ねぎ栽培の
始まりの所だそうです。

記念碑に歴史説明が。

館内農具見学。

これだけの資料展示、この関係の資料館、記念館では
初めてですね。

懐かしい資料ばかり。

昔の玉ねぎ栽培農具。
種まき農具のようです、札幌市文化財指定。

昔の農業は、各戸に必ず居た馬。
重要な動力でした。

稲ワラで作った履物。
長ぐつも有りましたね。

明治末期の茶の間風景。

現在の札幌地方の玉ねぎ栽培、札幌黄の品種拡大に
努めてるそうですが、栽培の中心は道東の北見、空知
地方だそうです。
- 2018/11/21(水) 07:26:16|
- 札幌
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国の重要文化財、時計台が20年ぶりの改修工事が完成。
5ヵ月ぶりの開館、海外観光客はじめ多くの市民で賑わってました。
12月末までは入場料無料(一般200円)です。
札幌時計台は、明治11年演武場として建設され明治14年に時計塔
が付設されました。
現北海道大学の前身でもあり、札幌農学校の歴史などミニ博物館と
しても活用されています。
歴史を表してますね。

時計台正面。
すっかり化粧直しをしてます。

日本三大がっかり名所返上です。

開拓使時代のシンボル五光星。
赤い星マーク。

撮影ベストボジションから。
この日は東アジア系観光客が多かったですね。

今年は時計台創建140周年の年、館内では札幌農学校
初代教頭、クラーク博士の座像と記念写真も撮れます。
- 2018/11/18(日) 08:23:51|
- 時計台
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大友亀太郎は、22歳の時二宮尊徳の門に入り農政事業を学ぶ。
25歳の時、江戸幕府の命で北海道に渡り、道南の現木古内町と七飯町
御手作場(開拓農場)を完成させてます。
慶応2年さらに、蝦夷地開拓を命ぜられ、農家八戸とともに札幌元村の伏古川
の岸辺に入り事業着手したのです。
開拓には農業用水、飲料水、札幌中心部からの物資の輸送に水路が必要でした。
大友堀と呼ばれ、約4㎞の水路を完成させた、現在の札幌市を東西に分けてる
創成川の前身となりました。
大友堀完成後元村には、本州各地から入植者が入り、明治4年には札幌村となる。
札幌村郷土記念館を訪問。
この地は、大友堀の最終地点でもあります。
館長さんから、長時間にわたり詳しく説明を受けることができました。

記念館です。

札幌村と大友亀太郎の関係がわかる。

大友亀太郎宅跡でもあります。
前庭に石像。 この石像は市内創成川たもとの石像と同じだそうです。

・
創成川の大友亀太郎石像。 2018,10,24. (リンク)
札幌市の現況図に、大友堀、伏古川の河川は明治初年を想定、
札幌区と各村の境界は明治29年の地図にもとづいている。
下部が大友堀取水口で右上部が大友堀落口。

『大友堀のすがた』
掘削開始 慶応2年6月
開通 慶応2年9月
数カ所の海抜が書かれてます、水路工事には重要ですね。
約4㎞の工事、3ヵ月で完成してる。

別の説明図。
右上が落口地点の当時元村(現元町)

工事に必要な測量器。

大友亀太郎愛用の測量器。
小田原の実家に保存されてるそうです。

大友亀太郎写真です。
慶応時代と思われます、珍しい。 記念館ホームページからお借り。

大友堀できた頃の現在の大道公園付近。
奥は森林地帯、時代の変化を感じます。

明治5年の大友堀、右奥が元村方角。
当時としては大工事だったでしょうね。

開拓当時の小屋掛。
屋根は樹皮のようです、厳寒の北海道冬の生活が想像できます。

大友亀太郎の愛刀。

明治3年に越後から元村に移住した人に餞別として画き贈られた
珍しい北海道地図、水色の部分は海。
かなり正確に書かれてますね、越後に当時北海道を想像できた人が居た事がふしぎ。

今回記念館の館長さんの説明を聞き、以前訪問した東旭川町の旭川神社
と旭川市との開拓関係が、実によく似てる事でした。
・
東旭川町に旭川神社 2014,9,24。 (リンク)
郷土記念館には大友亀太郎に関する資料のほか農作業に
関する、自分にとっても懐かしい展示が多くありました。
次回報告します。
- 2018/11/14(水) 08:15:35|
- 札幌
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北海道大学は散歩圏内。
久しぶりに、歩いてきました。
今回の目的は、普段あまり気にかけないで通り過ごしてた
歴史ある古い建築物に目を向けてみました。
裏口入学しました。(笑)
自宅から目的地には、ここからが一番の近道。
北大校内は南北に非常に広く、西側の方が市中心部、地下鉄利用する場合は
この裏口が無ければ大変な迂回、自然発生的に誰かが考えたのでしょうか?
尚、正面校門はこの真反対になります。

農学部農園を通り学内へ。
ヒマワリです、背が低いですね。

牛さんも居ました。
農学部、獣医学部どちらの牛さんでしょうか。

総合博物館です。 伝統を感じる建物です。
昭和4年建築。
長い歴史の中で、実に400万点の標本資料がある。
『北大のいま』を紹介するコーナー、『北大の歴史』では明治9年からの歴史展示。
何度か見学しましたが、興味ある方には見応えありますよ、入場無料。

旧昆虫学及び養蚕学教室。
明治34年建築、国有形文化財。
左右に教室や図書館が並んだ配置、 札幌キャンパス内最古の校舎です。

農学部校舎。 コ字形の校舎。
昭和11年陸軍特別大演習では大本営に利用。
当時3階に天皇の御座所、寝室、食堂に利用されたそうです。
・
天皇御座所として利用記事。 2014,12,29。
正面玄関です。
・
農学部北大マルシエ開催。 2015,9,15。
中央通路、農学部入口に風化した石碑。
風化した文字から、かすかに分かった事は皇族の来学、昭和12年です。
天皇陛下の御座所が昭和11年、その時の記念の碑と想像できますね。

旧札幌農学校図書室読書室。 有形文化財。
明治35年建築。
現在の附属図書室が完成するまでの60年間、中央図書室として活用。

古河講堂。
明治42年建築。 有形文化財。
古河家の寄付で建築された。

帰りにポプラ並木を見てきました。
過去の台風で、倒れる被害がありましたが復活してましたよ。

ほかの学部、研究棟、恵廸寮等はすべてビル形式
に変わりました。
今回の建築物はクラーク先生も懐かしいでしょうね。
- 2018/11/07(水) 07:36:27|
- 北海道大学
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10月30日朝、いつもどおり目覚めと同時に手稲山を見ると初冠雪。
平年より14日、昨年より25日遅い初冠雪だそうです。
その後、各地から初雪のニュースが聞かれる時期到来。
冬将軍との戦いのはじまりです、少しオーバー(笑)
手稲山は札幌の西1023㍍、札幌近郊では一番の標高です。
山頂は各局のテレビ電波基地になってます。
手稲山を望む。
山頂自動車道にかすかに積雪が分かります。

少し近づいてみます。
分かりますね。

翌日には、すっかり雪景色。

山頂への自動車道は一般車は通行できません。
中腹までは可能。
登山道は明治末期にできたそうです。
- 2018/11/04(日) 07:45:28|
- 札幌
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