永山武四郎は、高齢道産子では知ってる方は多いと思います。
若い方、そして全国的には知られてないかも知れませんね。
屯田兵生みの親で、後に第2代北海道庁長官となられてます。
明治6年屯田兵設定の必要性をのべ、政府に受け入れられ屯田兵制度が定められてます。
屯田兵の役割は、北方領土警備ですが実体は開拓の貢献が多く制度が廃止される
明治37年まで全道に37兵村が設けられてます。
札幌市内の永山記念公園案内板。

旧永山武四郎邸、 左は旧三菱鉱業寮。
旧永山邸は明治10年代前半に私邸として建てられた。
北海道有形文化財。

旧三菱鉱業寮、昭和12年永山邸に併設された。

旧永山武四郎邸玄関は閉鎖。
旧三菱鉱業寮から入ります、すぐのロビー。

旧三菱鉱業寮一階でレストラン&喫茶店運営。

鉱業寮部屋で旧永山武四郎邸と旧三菱鉱業寮歴史ビデオ説明。

その中の1シーン。
明治8年琴似兵村開墾着手記念、現在は高層ビル地域北海道命名150年
先人の苦労が目に見えるようです。

旧三菱鉱業寮2階です。現在は貸室で活用。
当時、この地区には各種会社や屯田司令所があり、開拓の拠点
の場所であったそうです。

窓は二重窓、北海道では古くから設計された寒冷地技術。

丸窓。
昭和初期採光用とアクセントデザインとして流行したそうです。

旧永山武四郎邸、正面玄関。

玄関を入った所。

洋室、和室が続いてます。
和洋折衷様式が採用され、以後の明治期の特色ある住宅の先駆けとなった。

床間。

旧三菱鉱業寮より古い建物窓は二重ではありません。
開閉は上、下する方式。

明治20年頃の永山邸スケッチ。

縁側風景。
昔田舎でよく見かけた光景です、懐かしい。

裏庭園から。

広い庭園が保存されてます。
倒れた枯木ではありませんよ、オンコ(イチイ)の木で左側が根、右側に
枝がのびてました。
成長の遅いオンコですから、相当の年数の木もしかしたら永山武四郎も
鑑賞してたかも!!!

永山武四郎は天保8年鹿児島で生まれ、北海道の開拓
と防備に関係するようになったのは明治5年でした。
- 2018/08/22(水) 07:30:52|
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