西岡公園は、市民には西岡水源地と呼ばれ親しまれている。
歴史的には、旧陸軍の軍用水道として明治42年完成。
給水人口6000人の記録がある、 昭和46年白川浄水場完成で役目終了。
その後、都市公園として整備され親しまれている。
特に、バードウオッキング、自然写真撮影を趣味としている人が多いようである。
地下鉄南北線、澄川駅下車。
バスで水源地行き乗車。地下鉄澄川駅は終点近くなると地上に出てます。

西岡公園正門。

地図です。
管理事務所の西岡水源地案内図。
面積、40,8㌶。

管理事務所、トンボ標本。
子供の頃、よく見かけたトンボがいる。最近トンボも少なくなった気がしますね。

珍しい種類です。 昔、神さまトンボと言ってたトンボがいる(正式名称として呼んでたのでないですが)

野鳥リスト。ガラスケースで見づらいですね。
西岡水源地では、ここに有る53種類が見かけられるそうですよ。

水源地には、一周できる遊歩道がある。
時計回りで歩いてきました。

南北に長い、月寒川をせき止めた水源地ほぼ全景です。
札幌市は、南ほど市中心部より高度が高く、明治の時代ですから利用したのでしょうね。

人気の取水塔です、ここだけ見に来る方もいるそうです。
国指定登録文化財。

通り過ぎ、振り返って。
貯水池の水位調整で水面を調整、保持する役目。
内径、1,5㍍。 高さ、6,6㍍。 レンガ造り。

水源地出口、水量多いですね。
この当たりが、ヘイケボタル観察できる所だそうです。

遊歩道は歩きやすい。
時々、小鳥の声。 癒されます。

木々の間から、取水塔。

小川です。
トンボのヤゴが育つ所ですね。

広葉樹の自然林。
小鳥、水生昆虫の多いのがわかりますね。

水中からの、かれ枝先に、きれいな水色の小鳥発見。
ほぼ中央、分かりますか。

少し、引いてみます。
この日見た、最初で最後の小鳥。 この後何処かえ。

所々に、シャッターチャンスを待つカメラマン。

『長老の木』樹齢300~400年。

子育て準備中でしょうか。

湿地帯になりました、木道です。

スニーカーでも安心ですね。

水源地散歩スタートから、丁度反対側、真南。
取水塔が小さく見えます。

木道を抜け、反対側の遊歩道も歩き易い。

取水塔がはっきり見える所まで来ました。
場所により、美しさがかわりますね。

自分は、正直西岡水源地公園は知りませんでした。
北区の住民には、南端に近いこの公園は分かりづらい。
今回、新聞の『おさんぽ さっぽろ』の報道で知りました。
よかったです、癒されました。
公共交通機関利用でしたが、後期高齢者の年齢を数年前に過ぎ
今年の3月に、車生活を卒業しました。
したがって、バス、電車、JR の行動。
- 2018/07/25(水) 08:04:29|
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旧道庁赤れんが庁舎前、3条広場いっぱいに花びらのじゅうたん。
第5回目の開催で今回は『HOKKIDOU物語〜北の記憶』がテーマ。
北海道命名150年を記念しアイヌ文様と自然をイメージした作品だそうです。
ボランテアなど430名で、大小9枚のカーペット作品でした。
製作中のニュース番組で知ったのですが、いろんな色の花びらを手で積み重ね
デザインして作品ができてる。 花びら収集も大変だったでしょうね。
現在は終了。
スタンドから!!
少しでも高いところから鑑賞。

前日に雨が降り心配しましたが、問題無し。
見事な花びらの作品。

奥に旧道庁赤れんが庁舎。

5回目のイベントも、花びらで表現。

アイヌ文様が入ってます。

札幌市の中心、見学者も多い。

北海道の自然をイメージしたデザインがあります。

作品作りも楽しかったでしょうね。

最も大きい縦18㍍, 横8㍍のアイヌ文様。

自分は初めての鑑賞、癒されましたよ。
製作中も見学したかったですね。 夜はライトアップもされたそうです。
北海道には花き生産組合が、13組合あるようです。
それぞれ協力があったのでしょうね。
- 2018/07/18(水) 08:04:43|
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7月4日ブログで『ハルニレ』の巨木紹介しました。
隣りが札幌市役所、 裏に小さな庭園があるなにげなく寄って見た。
なんとその地が、札幌市学びの原点、『札幌市立中央創成小学校』の跡地
ひっそりと、記念碑が立っている。
『資生館小学校』が前身で、開拓期としては近代的学校だったようです。
生徒は20~30歳ぐらいの人が多く、年少の人は少なかったようで、学び第一で
スタートしたのでしょうね。
その後、時代と共に札幌市内各地の親学校として重要な役目を果たしたのですね。
記念石碑。右上に校章。
題字は第6代札幌市長 原田与作書。

校歌。
明治12年4月制定。

札幌市役所裏庭園。
記念碑がこの場所に、中央創成小学校跡地だったのですね。
花はリュウキュウツツジ。

校歌一番だけでも!
菊のかおりの いや高く 学びの柱つき立てし
その年月を かぞうれば 明治4年(よとせ)の十月(かむなづき)
札幌市民となり25年。
思いがけない所で、新たに札幌の歴史を知る事ができました。
- 2018/07/11(水) 08:10:41|
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今年は、北海道命名150年の年、明治2年『北海道』と命名
された時ハルニレは、すでに150歳だったのですね。
幕末の探検家、松浦武四郎が蝦夷地(えぞち)に替わって『北加伊道』の名称
で明治政府に提案した歴史があるそうです。明治2年。
この場所で見上げたかもしれませんね。
ハルニレは大道公園札幌テレビ塔向かいの市民ホール前歩道にあります。
この場所は昔の豊平館の前庭で、昭和32年豊平館は中島公園に移築されました。
『ハルニレ』の巨木。

根回り約4㍍ 。
高さは現在くらいで、あとは幹が太くなるそうです。

札幌市の景観資産、市中心部ですが元気だそうです。
種子から、苗木を育て市内各地の植樹に取り組んでる。

明治13年ハルニレの木前に建設された豊平館、現在は中島公園に移築。
国指定重要文化財、明治14年ホテルとして完成、明治天皇が最初の宿泊、所在所となった。
現在も中島公園で、貸室、観覧、結婚式場、カフェとして現役。

詩人、百田宗治氏の詩『
にれの町』がありました。
このハルニレが主人公の作品で、実に札幌の歴史を見て来た感じが表現されてます。
ハルニレは『ニレ』とも呼ばれてます。
見わたす限りのささ原や、ぬまや、しっ地や、林の中に、
高いにれの木が一本あった。
にれの木は何もかも見ていた。
にれの木は、自分だけを道ばたに残して
りっぱなコンクリートの道路がまっすぐに走っているのを見た。
北海道の札幌の町が、こうしてできあがった。
百田氏は大阪出身ですが、疎開で戦後札幌に3年ほど
住んでいたことがあるそうです。
- 2018/07/04(水) 08:04:49|
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